よこはまふらのブログで取り上げた方がなくなられた11月
令和6年11月に、ふらぬいがブログで取り上げた、お二人が亡くなりました。本当に寂しいことでした。お一人は詩人の谷川俊太郎さん、
もうお一人は、タレントで俳優の火野正平さんです。
詩人の谷川俊太郎さんは、鎌倉のお寺散歩で、お父上の谷川徹三さんの紹介と一緒でした。詩集、20億光年の孤独が詩集として傑出のものでしたが、私には、鉄腕アトムの主題歌の作詞、スヌーピーの漫画、「PEANUTS」の翻訳で知られ、朝日新聞紙上に新しい詩作をお亡くなりになるまで公開しておりましたね。つい最近も朝日新聞紙上に新しい詩作を公開しておりましたが、その時点でお亡くなりになっていたと。私、ふらぬい、詩に興味をもっている訳ではありませんが、谷川俊太郎さんは、私のブログ「鎌倉散歩」のうち、北鎌倉の東慶寺散歩で、お父上の「谷川徹三」さんのお墓があることを紹介した時に、谷川俊太郎さんを取り上げました。「20億光年の孤独」のことを書いたのかは忘れてしまいましたが、私、ふらぬい家と谷川家の家紋が同じと、のぼせあがって紹介したようなきがしますね。
谷川俊太郎さんは、私、ふらぬいと、一回り半くらいの年上の方ですが、同時代を生きてきたように記憶していますね。私、ふらぬいは、理系の頭ではありますが、谷川俊太郎さんの詩からそれなりに影響は受けていたような。あっ、そうそう、谷川俊太郎さんが、真空管の5球スーパの詩を朝日新聞紙上に公開されたことがありました。ふらぬいも、大学生時代に5球スーパーラジオ作成に勤しんだことがありました。「ああ、俊太郎さんも、そのような興味があったのだ」と彼の詩を読んで、精神的にお若いと感心したものでした。私、ふらぬいより、一回り以上年上ですが、お若いお気持ちの持ち主であったと思っています。私、ふらぬいもそうありたいと思う素敵な方でした。
もうお一人は、火野正平さんです。火野正平さんは、NHKの旅番組、「お手紙をいただいて、自転車で旅する、こころ旅」、自転車で日本国中を巡る、こころ旅で、富良野地方を旅した時にブログで取り上げました。私、ふらぬいは、番組開始からずっと興味深く視聴しておりましたが、北海道富良野地方を旅した時に、私の地元の旅ですから、ブログにとりあげました。ブログの中ほどに富良野の旅の有り様を記述しました。貼り付けますね。
令和4年も8月になりました
https://47830furanui3.seesaa.net/article/202208article_1.html
ブログのなかほどに、火野正平さんの北海道富良野地方こころ旅がありましたでしょう。
火野正平さんは、映画俳優としては、ちとやんちゃな役、ちょい悪な役が多かったように思いますが、男としてはそのような性格ってあるよね、本当にいい役柄の俳優だったような。さらに、こころ旅の火野正平さんは本当に好い人柄が出て良かったですね。でも、やはりもっと「こころ旅」をやって欲しかったねと思う毎日なのですが。私ふらぬい、故郷の、北海道上富良野、中富良野、富良野の「こころ旅」をブログで取り上げました。なんと言っても、訪ねてくれてうれしかった。上富良野、中富良野、富良野はこうなのだよ、と紹介してくれましたね。ふらぬいの母校、上富良野中学校は少し、紹介しましたが、空知川沿いにある、ふらぬいの母校、富良野高校は訪ねてくれなかったのはちと残念でしたがね。北海道富良野高校は来年度には現在の空知川沿いの校舎から、現在の富良野緑峰高校の校舎に移り、新しく、北海道富良野高校として存続することになっているのですが・・・。ブログには関係ありませんね。
今回、ブログで谷川俊太郎さん、火野正平さんをとりあげ彼らの死をブログ上で悼んだのですが、私、ふらぬいはまだ生きるつもりでおります。どのように生きた証(あかし)を残すことができることになるのか、そのような考えが浮かんでくる年齢になっているのだと、世を去った人たちの生き様をしのびます。
よこはまふらのブログで取り上げた方がなくなられた11月でした。
今回のブログも公開が遅くなり失礼しました。
もうお一人は、タレントで俳優の火野正平さんです。
詩人の谷川俊太郎さんは、鎌倉のお寺散歩で、お父上の谷川徹三さんの紹介と一緒でした。詩集、20億光年の孤独が詩集として傑出のものでしたが、私には、鉄腕アトムの主題歌の作詞、スヌーピーの漫画、「PEANUTS」の翻訳で知られ、朝日新聞紙上に新しい詩作をお亡くなりになるまで公開しておりましたね。つい最近も朝日新聞紙上に新しい詩作を公開しておりましたが、その時点でお亡くなりになっていたと。私、ふらぬい、詩に興味をもっている訳ではありませんが、谷川俊太郎さんは、私のブログ「鎌倉散歩」のうち、北鎌倉の東慶寺散歩で、お父上の「谷川徹三」さんのお墓があることを紹介した時に、谷川俊太郎さんを取り上げました。「20億光年の孤独」のことを書いたのかは忘れてしまいましたが、私、ふらぬい家と谷川家の家紋が同じと、のぼせあがって紹介したようなきがしますね。
谷川俊太郎さんは、私、ふらぬいと、一回り半くらいの年上の方ですが、同時代を生きてきたように記憶していますね。私、ふらぬいは、理系の頭ではありますが、谷川俊太郎さんの詩からそれなりに影響は受けていたような。あっ、そうそう、谷川俊太郎さんが、真空管の5球スーパの詩を朝日新聞紙上に公開されたことがありました。ふらぬいも、大学生時代に5球スーパーラジオ作成に勤しんだことがありました。「ああ、俊太郎さんも、そのような興味があったのだ」と彼の詩を読んで、精神的にお若いと感心したものでした。私、ふらぬいより、一回り以上年上ですが、お若いお気持ちの持ち主であったと思っています。私、ふらぬいもそうありたいと思う素敵な方でした。
もうお一人は、火野正平さんです。火野正平さんは、NHKの旅番組、「お手紙をいただいて、自転車で旅する、こころ旅」、自転車で日本国中を巡る、こころ旅で、富良野地方を旅した時にブログで取り上げました。私、ふらぬいは、番組開始からずっと興味深く視聴しておりましたが、北海道富良野地方を旅した時に、私の地元の旅ですから、ブログにとりあげました。ブログの中ほどに富良野の旅の有り様を記述しました。貼り付けますね。
令和4年も8月になりました
https://47830furanui3.seesaa.net/article/202208article_1.html
ブログのなかほどに、火野正平さんの北海道富良野地方こころ旅がありましたでしょう。
火野正平さんは、映画俳優としては、ちとやんちゃな役、ちょい悪な役が多かったように思いますが、男としてはそのような性格ってあるよね、本当にいい役柄の俳優だったような。さらに、こころ旅の火野正平さんは本当に好い人柄が出て良かったですね。でも、やはりもっと「こころ旅」をやって欲しかったねと思う毎日なのですが。私ふらぬい、故郷の、北海道上富良野、中富良野、富良野の「こころ旅」をブログで取り上げました。なんと言っても、訪ねてくれてうれしかった。上富良野、中富良野、富良野はこうなのだよ、と紹介してくれましたね。ふらぬいの母校、上富良野中学校は少し、紹介しましたが、空知川沿いにある、ふらぬいの母校、富良野高校は訪ねてくれなかったのはちと残念でしたがね。北海道富良野高校は来年度には現在の空知川沿いの校舎から、現在の富良野緑峰高校の校舎に移り、新しく、北海道富良野高校として存続することになっているのですが・・・。ブログには関係ありませんね。
今回、ブログで谷川俊太郎さん、火野正平さんをとりあげ彼らの死をブログ上で悼んだのですが、私、ふらぬいはまだ生きるつもりでおります。どのように生きた証(あかし)を残すことができることになるのか、そのような考えが浮かんでくる年齢になっているのだと、世を去った人たちの生き様をしのびます。
よこはまふらのブログで取り上げた方がなくなられた11月でした。
今回のブログも公開が遅くなり失礼しました。
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