令和6年も8月半ばになってしまい、フランス国を愛でるブログ
前回のブログを認めてからもう3ヶ月以上が経過してしまいました。その間に私、ふらぬいは個人的には少なからず多忙?で楽しい3ヶ月を送っておりました。その中身についてなかなかブログにアップすることができませんでした。というよりは、少しさぼっていたように思います。横浜の市内・観光スポットに出かけ、横浜の若葉台近郊の山里を年相応に散策したり、またゴルフ仲間と健康維持のためなどとの名目でグリーンライフを大いに楽しんだことや、若葉台団地の仲間と団地共生のための共同作業などがあったのですが、ブログにアップするのはどうかななどと考えておりましたら、なんと2,3ヶ月があっという間に経過してしまいました。後期高齢者になり、なんと時間の経過が速いもの驚いてもおりますね。さらに、前回のブログで少し触れておりました、フランス、パリで開催のオリンピックも終わってしまいましたね。こちらは、なんと楽しいオリンピックであったかと感心してもおりました。私、ふらぬいは、フランス、パリには今から20年前頃、全て仕事からみでありますが、何度か、5~6度かな、訪問?しておりましたので、それなりに興味はありましたし、私も若かりし頃、手を染めたスポーツには興味がありましたから、そちらを集中的に視聴して、日本人選手を応援しておりました。ただ、パリと日本とは約8時間の時差がありますので、必ずしも応援できたかは難しかったのですけどね。
でも、セーヌ川での開会式、選手入場、閉会式の色々な出しものは興味深かったですね。本当に、視ていて楽しかったですね。パリオリンピック、日本人選手の活躍も素晴らしかったですしね。なんとなく、よかったよかったで終了してしまいました。あのこれは個人的な感想ですので、人それぞれの感慨があって当然ですので、良いと思うのですが、出場された選手には「よくやった」と快哉をあげましたよ。あっ、勝った負けたで快哉を叫び、悔しがるのは個々人のみでよいと思いますからね。出場された選手やコーチなどに非難などを投げかけるのは違いますからね。オリンピックは誰にとっても楽しく、思い出に残るものであって欲しいものです。
私、ふらぬいにとって、今回のオリンピック開催地、フランス、パリは本当に楽しい思い出の地でもあります。
セーヌ川クルーズはフランス、パリ滞在中に何度か経験しました。セーヌ川両岸の歴史遺産などがみられて感激しましたね。また、馬術や近代5種の馬術がベルサイユ宮殿の運河の先で行われたことは興味深く視聴しましたよ。私のブログでもパリ市内、ベルサイユ宮殿、ベルサイユ市街などは何度か紹介しましたからね。こちらも、10年くらい前、と随分前のブログで紹介したものですから、私も懐かしくパリオリンピックの競技を視聴しておりました。パリオリンピックはパリ観光、パリ街角散歩でもありました。パリ観光地の中心、セーヌ川のシテ島をどのように見せるのかはなかったように思いましたが、日本人選手の活躍の場ではなかったのかもしれませんからね。でも、無事、成功裏にパリオリンピックが終了してよかったと思っております。次回はロサンゼルスですと。こちらも楽しみですね。
それだけかい、とのお叱りの言葉がくるかもしれませんが、私、ふらぬいはヨーロッパの大都市てオリンピックを安全そして無事に行うことは大変と心得ておりますので、本当によかったと思います。
私、ふらぬい、フランスは若かりし頃から、あこがれの国でありました。あこがれの国、それはイギリスやアメリカなど英語の国ではなかったのですね。フランス語は大学の学生時代、第二外国語で修得?(かじった?)しておりまして、いまでもそれなりに理解はできます。そういえばブログで何度かフランスの町、パリ、ベルサイユ、さらにフランス南部の町、ニース、カンヌ、ソフィア・アンティポリス、ムージャンを紹介しました。書いたブログをうれしく紹介したのを憶えておりますが、これらも、もうかれこれ10年以上前になりますね。ブログを読み直すこともほとんどなくなりましたが・・・。
私、ふらぬい、フランス旅行はさらに何度かありますが、こちらもすべて仕事からみでした。つまり緊張感をもってフランスの街の佇まいにふれておりました。でも、何か楽しかった思い出ですね。(仕事はすべてが3GPP、第3世代携帯電話標準化からみでしたが・・・。)
先日、というかどこかで思い出したのですが、学生時代、ある有名詩人が”「フランスに行きたいがフランスはあまりに遠いので新しい背広を着てきままなる旅に出てみたい」と書いた詩人がおりました。私、ふらぬい、この詩人、著名な萩原朔太郎で、彼の「純情小曲集」におさめられたいたのを思い出しました。ふらぬいの高校生時代にこの詩にふれ、大学ではフランス語を学び、いつかフランスに行きたいと考えたものでした。大学生時代、私の大学で理類の学生はドイツ語選択者が多く、フランス語を学ぶ同級生は非常に少なかった記憶があります。工学部、電子工学科に進んだ同級生で、フランス語を学んだのは私、一人でした。他の皆がドイツ語選択でした。
就職してから、使う外国語は英語だけでよかった。それですっかりフランス語はさびついて?しまったのでした。
こんなことをブログで書くのではなく、この萩原朔太郎の純情小曲集の詩に團伊玖磨が曲をつけ、歌曲「旅上」にしていること知りました。團伊玖磨は私ふらぬいが、私の生まれ故郷、「北海道雨竜郡沼田町字浅野の浅野炭鉱」を紹介するブログの番号付けに、彼のエッセイ「パイプの煙」の表題を使いました。このブログは27回で終わってしまったかたちになっているのですが”、フランスに行きたいと書いた萩原朔太郎と作曲家でエッセイスト團伊玖磨と、私、ふらぬいがこんなかたちでつながるとは思いませんでした。フランスはこのように人をなにかにかこつけてつなげる、何か、目に見えないものがあると、驚いた次第なのですが・・・・。團伊玖磨が作曲した有名な曲に、これも私がブログで取り上げたことがある、詩人、まどみちお作の「ぞうさん」や「やぎさんゆうびん」もあるのですと。(やぎさん郵便をブログで書いていたような・・。)
私、ふらぬい、フランスのパリを歩くときはいつも、フランスのシャンソン、「オー・シャンゼリゼ」、「パリの空の下」などを口づさみながら、シャンゼリゼ通りやセーヌ川沿岸、シテ島、さらにルーブル美術館、オルセー美術館そしてエッフェル塔界隈を歩いてきました。
ベルサイユ宮殿はしっかりブログで記載しましたよ。ベルサイユのホテルに宿泊し、さらにベルサイユの街界隈散歩もしっかり書きました。SeeSaaブログでリンクが取りにくくなりましたがね。
フランスは私、ふらぬいにとって、美しい景色、楽しい思い出をなぞり、そして、フランスにまた行きたいとこころに抱かせてくれる国なのです。もし、フランスに行くことが叶わなくても、このようにオリンピック開催で、人々に美しい景色、歴史的建物を見せ、楽しく食事や散歩する時間を与えてくれる、フランスに、”メルシー”、と感謝したいものです。
フランス、パリのオリンピックを愛で、フランスに感謝するブログでした。
毎回のごとく、内容がブレ、公開が遅れて、失礼しました。
でも、セーヌ川での開会式、選手入場、閉会式の色々な出しものは興味深かったですね。本当に、視ていて楽しかったですね。パリオリンピック、日本人選手の活躍も素晴らしかったですしね。なんとなく、よかったよかったで終了してしまいました。あのこれは個人的な感想ですので、人それぞれの感慨があって当然ですので、良いと思うのですが、出場された選手には「よくやった」と快哉をあげましたよ。あっ、勝った負けたで快哉を叫び、悔しがるのは個々人のみでよいと思いますからね。出場された選手やコーチなどに非難などを投げかけるのは違いますからね。オリンピックは誰にとっても楽しく、思い出に残るものであって欲しいものです。
私、ふらぬいにとって、今回のオリンピック開催地、フランス、パリは本当に楽しい思い出の地でもあります。
セーヌ川クルーズはフランス、パリ滞在中に何度か経験しました。セーヌ川両岸の歴史遺産などがみられて感激しましたね。また、馬術や近代5種の馬術がベルサイユ宮殿の運河の先で行われたことは興味深く視聴しましたよ。私のブログでもパリ市内、ベルサイユ宮殿、ベルサイユ市街などは何度か紹介しましたからね。こちらも、10年くらい前、と随分前のブログで紹介したものですから、私も懐かしくパリオリンピックの競技を視聴しておりました。パリオリンピックはパリ観光、パリ街角散歩でもありました。パリ観光地の中心、セーヌ川のシテ島をどのように見せるのかはなかったように思いましたが、日本人選手の活躍の場ではなかったのかもしれませんからね。でも、無事、成功裏にパリオリンピックが終了してよかったと思っております。次回はロサンゼルスですと。こちらも楽しみですね。
それだけかい、とのお叱りの言葉がくるかもしれませんが、私、ふらぬいはヨーロッパの大都市てオリンピックを安全そして無事に行うことは大変と心得ておりますので、本当によかったと思います。
私、ふらぬい、フランスは若かりし頃から、あこがれの国でありました。あこがれの国、それはイギリスやアメリカなど英語の国ではなかったのですね。フランス語は大学の学生時代、第二外国語で修得?(かじった?)しておりまして、いまでもそれなりに理解はできます。そういえばブログで何度かフランスの町、パリ、ベルサイユ、さらにフランス南部の町、ニース、カンヌ、ソフィア・アンティポリス、ムージャンを紹介しました。書いたブログをうれしく紹介したのを憶えておりますが、これらも、もうかれこれ10年以上前になりますね。ブログを読み直すこともほとんどなくなりましたが・・・。
私、ふらぬい、フランス旅行はさらに何度かありますが、こちらもすべて仕事からみでした。つまり緊張感をもってフランスの街の佇まいにふれておりました。でも、何か楽しかった思い出ですね。(仕事はすべてが3GPP、第3世代携帯電話標準化からみでしたが・・・。)
先日、というかどこかで思い出したのですが、学生時代、ある有名詩人が”「フランスに行きたいがフランスはあまりに遠いので新しい背広を着てきままなる旅に出てみたい」と書いた詩人がおりました。私、ふらぬい、この詩人、著名な萩原朔太郎で、彼の「純情小曲集」におさめられたいたのを思い出しました。ふらぬいの高校生時代にこの詩にふれ、大学ではフランス語を学び、いつかフランスに行きたいと考えたものでした。大学生時代、私の大学で理類の学生はドイツ語選択者が多く、フランス語を学ぶ同級生は非常に少なかった記憶があります。工学部、電子工学科に進んだ同級生で、フランス語を学んだのは私、一人でした。他の皆がドイツ語選択でした。
就職してから、使う外国語は英語だけでよかった。それですっかりフランス語はさびついて?しまったのでした。
こんなことをブログで書くのではなく、この萩原朔太郎の純情小曲集の詩に團伊玖磨が曲をつけ、歌曲「旅上」にしていること知りました。團伊玖磨は私ふらぬいが、私の生まれ故郷、「北海道雨竜郡沼田町字浅野の浅野炭鉱」を紹介するブログの番号付けに、彼のエッセイ「パイプの煙」の表題を使いました。このブログは27回で終わってしまったかたちになっているのですが”、フランスに行きたいと書いた萩原朔太郎と作曲家でエッセイスト團伊玖磨と、私、ふらぬいがこんなかたちでつながるとは思いませんでした。フランスはこのように人をなにかにかこつけてつなげる、何か、目に見えないものがあると、驚いた次第なのですが・・・・。團伊玖磨が作曲した有名な曲に、これも私がブログで取り上げたことがある、詩人、まどみちお作の「ぞうさん」や「やぎさんゆうびん」もあるのですと。(やぎさん郵便をブログで書いていたような・・。)
私、ふらぬい、フランスのパリを歩くときはいつも、フランスのシャンソン、「オー・シャンゼリゼ」、「パリの空の下」などを口づさみながら、シャンゼリゼ通りやセーヌ川沿岸、シテ島、さらにルーブル美術館、オルセー美術館そしてエッフェル塔界隈を歩いてきました。
ベルサイユ宮殿はしっかりブログで記載しましたよ。ベルサイユのホテルに宿泊し、さらにベルサイユの街界隈散歩もしっかり書きました。SeeSaaブログでリンクが取りにくくなりましたがね。
フランスは私、ふらぬいにとって、美しい景色、楽しい思い出をなぞり、そして、フランスにまた行きたいとこころに抱かせてくれる国なのです。もし、フランスに行くことが叶わなくても、このようにオリンピック開催で、人々に美しい景色、歴史的建物を見せ、楽しく食事や散歩する時間を与えてくれる、フランスに、”メルシー”、と感謝したいものです。
フランス、パリのオリンピックを愛で、フランスに感謝するブログでした。
毎回のごとく、内容がブレ、公開が遅れて、失礼しました。
この記事へのコメント