北の食ものがたり、上富良野ホップ101年目に乾杯ブログ

令和6年2月6日付け朝日新聞に、”Monthly Hokkaido 北の食ものがたり”に「上富良野ホップ 101年目に乾杯」とのタイトルを見つけました。私、ふらぬい、北海道上富良野(かみふらの)は故郷の町であり、「上富良野ホップ」についてもブログで何度も取り上げておりまして、さらに、”101年目に乾杯”とありますから、故郷上富良野のビールとホップの101年目の歴史話とのことで興味をもって読み始めましたね。朝日新聞は私、ふらぬいの故郷、北海道空知(そらち)郡上富良野町を興味深く紹介してくれておりました。つまり、東京の大新聞がページを割いて「上富良野ホップ」を紹介してくれていたのです。私、ふらぬい、本当にうれしくなって読み始めました。それは「伝説のホップ」”ソラチエース”のことでした。なんとなれば、私、ふらぬい、
上富良野発祥のホップ、”ソラチエース”のことを今から8年前、2016年1月25日のブログで認めておりました。ソラチエースホップが数奇な運命をたどり、ソラチエースは商品化されず、研究目的で米国の大学に送られた。その後クラフトビール醸造家がソラチエースで「ビールの完成度を高め」、その評判は米国から欧州へと伝搬していったのでした。まもなく、欧米を席巻していたソラチエースの評判を、現地でサッポロビールのブリューイングデザイナーの新井健司さんが聞き、「世界中で飲まれているビール」が日本にないのはおかしいと、ソラチエースの商品化に着手し、「上富良野ホップ ソラチエース」のビール「SORACHI 1984」が商品化されたのでした。
このことは、私のブログに書かれておりますので、貼り付けますね。

上富良野生まれのホップ「ソラチエース」欧州ビールを席巻
https://47830furanui3.seesaa.net/article/201601article_1.html

もうひとつのストーリーがサッポロビールと契約栽培するホップ農家の大角友哉さんのことでした。大角家は、今では上富良野に4家しかないホップ農家なのだそうです。
私、ふらぬい、上富良野に18才、高校3年まで住んでおりました。その時には、サッポロビールの広大なホップ園が十勝岳に向かう山側にあったのと、小中学校の友人にもホップ農家の方は数多くいたようにおもいますが、もう58年も前になります。

大角さんは上富良野開拓者(富良野開拓者が正しい)、あの「三重団体」の開拓6代目でその苦労話も語られておりました。上富良野には大正15年の十勝岳噴火の泥流で大被害を被った方が多く、そのご家族の後継の方だそうです。三浦綾子の「泥流地帯」にその十勝岳噴火で流れ出した火山泥流での被害状況が書かれておりますが・・・。
大角さんのお話から、大角さんの名前が入った「上富良野産ビール」がサッポロビールとして売られていることに、ホップ生産者として、誇りと喜びを感じているように思いましたね。故郷を同じくする者として、心強く感じました。是非、「上富良野産ビール」を皆さんに賞味いただければ嬉しいですね。

北の食ものがたり、上富良野ホップ101年目に乾杯するブログでした。

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