令和6年の幕開けは厳しく、人生は短く、芸術は長い再び
令和6年の幕開けは本当に厳しいものになりましたね。元日の能登半島大地震に続いて二日の羽田空港での航空機衝突事故。こころからお悔やみとお見舞いを申し上げます。能登半島地震はいまだ、余震が引きも切らず続いており被災者にとっては大変な年明けになりました、また航空機事故は原因調査がすすんでおりこのような事故を未然に防ぐべく対応策が講じられるようですが、事故に遭われた人の命はもどってきませんからね。本当に心が痛みます。
私、ふらぬい、私のブログはできれば明るい内容で終始したいとの考え方に変わりはないのですが・・・。
なかなかそうはいかないようです。先日、歌手の八代亜紀さんの訃報に接しまして、お亡くなりになったのが昨年、12月末のことで、八代亜紀さんのことがらにふれつつ、つれづれぶろぐしてみたいと思います。
私、ふらぬい、海外で年越しをしたのが、今までに3回あります。一度目は1980年から1981年、アルゼンチン、ブエノスアイレスで、アルゼンチン、タンデムプロジェクトというNEC製電子交換機を客先に納入した時、1983年から1984年、ニュージーランド、ワークワースにNECが衛星通信地球局設備を客先に納入した時、さらに2000年から2001年、NECがタイ、バンコクにPHS携帯電話システムを納入した時で、1999年当時大きな問題でもありました、コンピュータの2000年問題対応からみでした。おのおの2~3ヶ月出張期間中に年越しをしてしまったものなのです。南半球は夏の時期、タイは一年中夏みたいなものですから日本国の正月とは違った年明けになります。けれど、もうずいぶん昔のことですから、ピント外れになっているかもしれません。なんとなく年末から年明けのこと、しかも海外でのことがらを書いてみたくなりました。そのうちの1980年12月31日、アルゼンチン、ブエノスアイレスのことです。
1980年の12月31日、ブエノスアイレスでは朝9時からNHKの紅白歌合戦が放送され、八代亜紀さんが、その年のレコード大賞受賞曲の「雨の慕情」を、おおとり(最終歌唱)で歌ったのでした。日本とアルゼンチンは12時間の時差があり、当時、NHK紅白歌合戦は午後9時からの始まったような・・・。この時にはラジオ聴取でしたが、すごく印象にのこっておりますね。どうして、NHK紅白歌合戦を聞くことになったかは記憶にありません。ただ、1980年の最終日、12月31日、そろそろブエノスアイレスのまちを散歩に出かけ、大晦日、ブエノスアイレスの住人には普通の日常?なのですが、私、ふらぬいには大晦日で特別な日でありまして、観光スポットを訪問しながら、最終的には、夕食は、「ニッカイ食堂」で1980年最後の食事を日本食でと考えておりました。ブエノスアイレスは大きな町で、どこまで歩いても、最終的にはタクシー、または地下鉄でホテルには戻れるとの考えがあったからなのです。タクシーに乗り、行き先を告げるのに、通りの名前を二つ告げる(たとえば、インデペンデンシア、イ、チャカブコ)と告げるとその二つの通りの交差点近くまで乗せていってくれるのです。その二つの通りの交差点近くに、目的の「ニッカイ食堂」があったのです。ただ一人での年越しは寂しいものでしたが、日本料理を食して、日本語を聞きながらの年越しはそれなりに楽しいものでした。何故一人ぼっちの年越しになったかの理由は、書き出せば長くなりますので書きませんが、それなりに楽しい、南半球、ブエノスアイレスでの暖かい、暑いかな、年越しだったのです。
帰国後は、私、ふらぬいの故郷、北海道、富良野を舞台にした、TVドラマ「北の国から」の中で、大晦日の「紅白歌合戦」で八代亜紀さんがで「雨の慕情」を唄うのを、純と蛍(説明しませんよ)が窓越しに眺めることで、私はこの瞬間を、1980年12月31日、アルゼンチン、ブエノスアイレスでラジオで聴いていたと確認したものでした。でも、当時はあまり、テレビ視聴で感動した気持ちはありませんでしたね。
今年は、西暦2024年ですかから、アルゼンチン、ブエノスアイレスで、八代亜紀さんの「雨の慕情」をラジオ聴取は、なんと43年前ですね。あっ、そうそう、八代亜紀さんが、1979年、NHK紅白歌合戦で歌った「舟歌」は、あの映画の名作、「駅 STATION」でも効果的に使われていました。私、ふらぬいが留萌本線、留萌ー増毛間が廃線になるときにもブログで取り上げました(取り上げたような気がしますが・・)。あっ、そういえば、先日の朝日新聞の天声人語でも取り上げられていました。私、ふらぬいは高倉健さんの映画、「駅 STATION」のラストシーンが思い浮かびます。今、2024年1月です、あの、もう電車がやってこない、増毛駅ホームから出ていく電車、ディーゼルでした、と「舟歌」のメロディがすごくマッチしていたように感じたのですが・・・。
むりやりブログをまとめますが、「北の国から」と「駅 STATION」の脚本はどちらも、倉本聰さんですね。私、ふらぬい同様、八代亜紀さんの歌唱がお好きだったのでしょうね。また、「雨の慕情」、「舟歌」の作詞は阿久悠さん、作曲は浜圭介さんですね。これらの方たちのお力添えで、これらの、TV、映画、音楽の芸術作品が生まれたのでしょう。これらの芸術作品はこれからも残りますね。またまた、人生は短く、芸術はながいを実感します。
八代亜紀さんの訃報にふれ、人生は短く、芸術は長いとブログにしたためました。
ニュージーランド、タイはどうなのとお聞きですか、それはまたあとでブログ公開できるかも・・・、
ブログ公開がすっかり遅れてしまいました。失礼しました。
私、ふらぬい、私のブログはできれば明るい内容で終始したいとの考え方に変わりはないのですが・・・。
なかなかそうはいかないようです。先日、歌手の八代亜紀さんの訃報に接しまして、お亡くなりになったのが昨年、12月末のことで、八代亜紀さんのことがらにふれつつ、つれづれぶろぐしてみたいと思います。
私、ふらぬい、海外で年越しをしたのが、今までに3回あります。一度目は1980年から1981年、アルゼンチン、ブエノスアイレスで、アルゼンチン、タンデムプロジェクトというNEC製電子交換機を客先に納入した時、1983年から1984年、ニュージーランド、ワークワースにNECが衛星通信地球局設備を客先に納入した時、さらに2000年から2001年、NECがタイ、バンコクにPHS携帯電話システムを納入した時で、1999年当時大きな問題でもありました、コンピュータの2000年問題対応からみでした。おのおの2~3ヶ月出張期間中に年越しをしてしまったものなのです。南半球は夏の時期、タイは一年中夏みたいなものですから日本国の正月とは違った年明けになります。けれど、もうずいぶん昔のことですから、ピント外れになっているかもしれません。なんとなく年末から年明けのこと、しかも海外でのことがらを書いてみたくなりました。そのうちの1980年12月31日、アルゼンチン、ブエノスアイレスのことです。
1980年の12月31日、ブエノスアイレスでは朝9時からNHKの紅白歌合戦が放送され、八代亜紀さんが、その年のレコード大賞受賞曲の「雨の慕情」を、おおとり(最終歌唱)で歌ったのでした。日本とアルゼンチンは12時間の時差があり、当時、NHK紅白歌合戦は午後9時からの始まったような・・・。この時にはラジオ聴取でしたが、すごく印象にのこっておりますね。どうして、NHK紅白歌合戦を聞くことになったかは記憶にありません。ただ、1980年の最終日、12月31日、そろそろブエノスアイレスのまちを散歩に出かけ、大晦日、ブエノスアイレスの住人には普通の日常?なのですが、私、ふらぬいには大晦日で特別な日でありまして、観光スポットを訪問しながら、最終的には、夕食は、「ニッカイ食堂」で1980年最後の食事を日本食でと考えておりました。ブエノスアイレスは大きな町で、どこまで歩いても、最終的にはタクシー、または地下鉄でホテルには戻れるとの考えがあったからなのです。タクシーに乗り、行き先を告げるのに、通りの名前を二つ告げる(たとえば、インデペンデンシア、イ、チャカブコ)と告げるとその二つの通りの交差点近くまで乗せていってくれるのです。その二つの通りの交差点近くに、目的の「ニッカイ食堂」があったのです。ただ一人での年越しは寂しいものでしたが、日本料理を食して、日本語を聞きながらの年越しはそれなりに楽しいものでした。何故一人ぼっちの年越しになったかの理由は、書き出せば長くなりますので書きませんが、それなりに楽しい、南半球、ブエノスアイレスでの暖かい、暑いかな、年越しだったのです。
帰国後は、私、ふらぬいの故郷、北海道、富良野を舞台にした、TVドラマ「北の国から」の中で、大晦日の「紅白歌合戦」で八代亜紀さんがで「雨の慕情」を唄うのを、純と蛍(説明しませんよ)が窓越しに眺めることで、私はこの瞬間を、1980年12月31日、アルゼンチン、ブエノスアイレスでラジオで聴いていたと確認したものでした。でも、当時はあまり、テレビ視聴で感動した気持ちはありませんでしたね。
今年は、西暦2024年ですかから、アルゼンチン、ブエノスアイレスで、八代亜紀さんの「雨の慕情」をラジオ聴取は、なんと43年前ですね。あっ、そうそう、八代亜紀さんが、1979年、NHK紅白歌合戦で歌った「舟歌」は、あの映画の名作、「駅 STATION」でも効果的に使われていました。私、ふらぬいが留萌本線、留萌ー増毛間が廃線になるときにもブログで取り上げました(取り上げたような気がしますが・・)。あっ、そういえば、先日の朝日新聞の天声人語でも取り上げられていました。私、ふらぬいは高倉健さんの映画、「駅 STATION」のラストシーンが思い浮かびます。今、2024年1月です、あの、もう電車がやってこない、増毛駅ホームから出ていく電車、ディーゼルでした、と「舟歌」のメロディがすごくマッチしていたように感じたのですが・・・。
むりやりブログをまとめますが、「北の国から」と「駅 STATION」の脚本はどちらも、倉本聰さんですね。私、ふらぬい同様、八代亜紀さんの歌唱がお好きだったのでしょうね。また、「雨の慕情」、「舟歌」の作詞は阿久悠さん、作曲は浜圭介さんですね。これらの方たちのお力添えで、これらの、TV、映画、音楽の芸術作品が生まれたのでしょう。これらの芸術作品はこれからも残りますね。またまた、人生は短く、芸術はながいを実感します。
八代亜紀さんの訃報にふれ、人生は短く、芸術は長いとブログにしたためました。
ニュージーランド、タイはどうなのとお聞きですか、それはまたあとでブログ公開できるかも・・・、
ブログ公開がすっかり遅れてしまいました。失礼しました。
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