令和5年もはや6月、梅雨の季節になりました

令和5年もはや6月、梅雨の季節になりました。横浜若葉台のそこかしこに紫陽花が静かに咲き誇っております。横浜若葉台には四季の花々が咲き誇り、若葉台住人や訪問者を元気づけます。若人の訪問者というよりはちと年配の方たちが多いようですが・・・。
あっ、それに私、高齢者のふらぬいも、コロナワクチンの6回目接種を先月、5月の後半に終えておりますので、横浜若葉台ばかりでなく、横浜の地下鉄道を利用して、横浜駅界隈、新横浜駅周辺に出かける機会も増えてきました。私、ふらぬいはしっかりとマスク武装を心掛けておりますからね。ちと嫌な表現ですが、コロナとの共生がまだまだ続きますけどね。

私、ふらぬい、先月には横浜地下鉄道で、横浜山下公園、横浜中華街、横浜元町から山手に出かけ、コロナ明けの横浜を歩いてきました。その日は天気に恵まれ、暑い一日でしたが、久しぶりの横浜散歩でした。そこには、観光客、それも外国人観光客であふれかえっておりましたね。これだけ多くの外国人が日本にやってこれるようになったと感慨もひとしおでした。横浜の観光地の佇まいは3年前と変わっておりませんでしたが、外人観光客の多さには驚きました。これも、世界的にあのコロナ禍が終焉を迎えているとの証(あかし)なのかなと思いましたけどね。
私、ふらぬい、私のブログでこれら横浜(観光地)の街並みを紹介しておりましたがもうあれから10年以上が経過しております。でも、あまり変わっていないように思いますので、それも良いことなのかなと考えますがね。横浜みなとみらい方面はあまりに変わりすぎましたが、そちらはパスして・・・。

実は、かってあれほど歩いた横浜の町を、あのコロナ発生後、ダイヤモンドプリンセス号の横浜入港以来です、歩きまわってはおりませんので、どこまで横浜の街並みが変わったか調べがついておりませんことが残念なのですが・・・。

つれづれぶろぐですから、話が一気に飛びますよ。
6月に入る前から、ある一部の方たちの話題になっていた(話題にもなっていなかったが正しい?)のですが、
週刊朝日が2023年6月9日号で101年間、発行の歴史に幕を閉じました。「101年間、ご愛読ありがとうございました。」との週刊朝日の表紙と編集部の写真は「まだまだ、発行を一時休刊するのであって再発行はあるのかもしれませんよ」とか「あくまで、廃刊ですを婉曲的に休刊と表現しているのかもしれませんがね」、とにかく我がふらぬい家では朝日新聞と週刊朝日を同じ新聞配達所にお願いしていましたので、ちと寂しい感じはしておりますがね。
私、ふらぬい、横浜若葉台に移ってきてから朝日新聞と週刊朝日を新聞配達所にお願いしておりましたので、これからは週刊朝日の配達が無くなるのは本当に寂しく、残念なのですがね。

私、ふらぬい、週刊朝日との出会いは、50年以上前、北海道札幌の大学に入学して、生協の売店でなんとなく手にして読み始めた小説に興味を抱いたからでした。それは松本清張の「黒の様式」だったと思います。新聞は北海道新聞を読むのがあたりまえの道産子でしたから、朝日新聞とか朝日ジャーナルなど当時はちと高尚な新聞雑誌を手にすることはなかったやに思いますね。学園紛争もありましたが、北海道の田舎(上富良野です)出身の新米学生には学園紛争にはついていけなかったのでした。その後。大学を卒業して横浜に出てきて、新聞が朝日新聞になり、週刊誌はそのまま週刊朝日の継続でした。なんで週刊朝日だったかというと連載小説を読みたいとのことだったと思いますね。

週刊朝日には松本清張の「黒の様式」や司馬遼太郎の「世に棲む日々」が連載されており、かなり夢中になって読んだきがします。そして小説の舞台になった町を仕事の合間に旅したものでした。日本の山陽、山陰地方旅行はこの時期でしたね。それ以降は山陽、山陰方面には全然出かけていませんが。
その後、週刊朝日、司馬遼太郎の「街道をゆく」は毎週楽しみでした。なんといっても、「街道をゆく」で最初の訪問街道が、わがふらぬい家の”家の名”つまり姓、名字を冠した街道だったものですから、ずっとそれ以降も「街道をゆく」を夢中になって読みました。日本ばかりでなく、外国訪問もありましたね。オランダ、アイルランド、台湾は本当に興味をもって読みましたし、単行本を購入して本棚に飾ってありました。また、私、ふらぬいが彼の国を訪問(出張です)した時には単行本を抱えていきました。
あと、大好きな連載物は池波正太郎の「真田太平記」でしたね。あまりに長く連載されておりましたので、時々は私の海外出張と重なりあとでまとめて読んだりしました。信州上田は私、ふらぬい家の(父方の)先祖の地でしたので、もしかしたら、真田太平記のある場面にでてくるやもと期待して読みました。ふらぬい家の先祖は真田家のお抱え医師(どんな医者かは?)ともれ伺っておりましたので・・・。残念ながら医者もでてこなかったような・・。ちと悔しい思いもありましたが・・・。

週刊朝日に連載の小説で私、ふらぬいの興味を引いた小説は、50年以上も読者でありましたから、挙げ始めたらきりがないのですけどね、つい最近の塩田武士さんの「未到の静けさ」は興味をもって読んでおりました。小説の舞台が日本各地を移動していきます。まして、当初は横浜の「横浜元町」「港が見える丘公園」が舞台で展開しましたからね。小説の中に入り込みましたよ。週刊朝日の休刊にともない、この小説は最後まで掲載できずに終わってしまいました。本作品は「存在のすべてを」と改題してこの秋に刊行されるとか。個人的にはこの最終刊で完了にすべく、掲載すべきだったと思いますけどね。10数ページにわたろうがもっとページを割こうが良いではありませんかね。そうでなければ、一応、週刊朝日では完にして、週刊朝日掲載は終わり。
その後の著者が、新しい構想で物語が展開していくとか・・・、このような小説、物語はずいぶんあったようにおもいますからね。
週刊朝日では著者がお亡くなりになって、途中で掲載終了の連載小説もかなりありました。私、ふらぬい、そんな時には大変残念に思いましたが、週刊朝日が休載になっても連載小説は著者の意図で、再構成しそして完成するのは良いことと思いますね。著者が生きておりましたらいくらでも書き続けられますからね。
週刊朝日、休刊で本当に残念です。

前回のブログで私、ふらぬい、どこかの週刊誌でどなたかが、ドイツは脱原発を達成した、何故日本はできない、日本には何が無いとか書きましたが、もちろん、どこかの週刊誌は週刊朝日です。

どなたかがその後同じ誌上、週刊朝日ですよ、で「電力フェイクにだまされるな」と一文を認めておりました。ドイツは電力輸出国であったからフランスから原子力の電力を必要とはしない云々と述べていました。私、ふらぬい、理系の頭を持っており、制御系の技術者でもありましたから、文系の経済学者?の長文の説明理論になかなかついていけないのです。私は、電力はソーラー、風力、地熱の自然エネルギーだけではいけないので、電力は火力、水力、原子力、自然エネルギーなどミックスして使うべきであってそれがいいのですよと説明しています。ただ自然エネルギーだけでは制御機能が働かないから、万一問題が発生したら危険ですよとしています。「電力フェイクにだまされるな」など使っていただきたくないのです。あっ、私、ふらぬい、週刊誌は新聞と違って、事実を報道、事実のみを書け.とは言いませんよ。週刊朝日は週刊誌であって読者を愉しませてくれる記事、情報を提供してくれればいいのですから・・・。

私、ふらぬい、50年以上にわたり、私を愉しませてくれた記事、情報、小説などを提供してくれた、週刊朝日にこころから感謝すると同時に、休刊がまもなく終わるのを期待しつつ、ブログを終えます。

ブログとはかけ離れた内容のもので、失礼しました。



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