令和5年、港町横浜の異国情緒、横浜グルメを求め、横浜中華街には地下鉄道ででかけます

先々月、横浜の地下鉄道、東急新横浜線と相鉄新横浜線が新横浜の地下で接続、私、ふらぬい、横浜の新地下鉄道に乗車してなんとなく浮足だっている様子をブログに書きました。それで、このゴールデンウィーク、先週ですが、横浜中華街に出かけました。横浜中華街に出かけるには私、ふらぬいはすべてJR横浜線利用で横浜駅行き。さらに横浜駅からJR根岸線関内駅または石川町駅から徒歩、または桜木町駅からバスでした。でも今回は、横浜市営地下鉄に乗車し、地下鉄道で横浜駅へ。さらに横浜駅から地下鉄道(みなとみらい線)で元町・中華街駅に出かけます。横浜市民が大好きな山下公園、横浜中華街そして元町商店街さらに港が見える公園、山手に出かけることがこの地下鉄道駅、元町・中華街駅からできるようになりましたね。このように、神奈川県、横浜市は地下鉄道開通、接続で県民、市民が鉄道利用にあたり選択、選別の喜ばしい?状況にあるのです。私、ふらぬい、勝手に、あとからハマっ子の横浜住民です、も鉄道選択にかなり浮かれ気味の状況にあります。困ったものです・・・。その日は山下公園を散策、横浜中華街のなじみの中華料理店での中華料理に舌鼓をうってきました。2年半ぶりの山下公園、横浜中華街を横浜市営地下鉄、地下鉄道のみなとみらい線、つまり横浜地下鉄道の往復で満喫できたのです。

一方、北海道です、私、ふらぬいの生まれ故郷(第一の故郷が石狩沼田の浅野です)の北海道では、JR留萌本線の留萌ー石狩沼田間がこの3月末で廃線となりました。北海道のJRは来年度には私ふらぬいの第二の故郷富良野(正式には上富良野ですが・・・)、その富良野沿線を接続する根室本線の富良野ー新得間を廃線にすることになっています。私、ふらぬいが北海道を離れ、横浜に出てきてからは、北海道では、道内各地を接続していた鉄道路線が次々に廃線となり、北海道内を接続するJR路線がほとんどなくなってきました。あの広い北海道内を移動するには、バスか車でお願いしますとのことですね。北海道内の高速道路はかならずしも道内各地に行き渡っている訳ではないのですけどね。でも、道内の各市町村の道路はどうにかこうにか繋がっているようですけどね。JR北海道は北海道新幹線が札幌まで延伸したら、北海道内の鉄道路線はもういらないとでも考えているのでしょうかね。こう言う、私、ふらぬいの北海道行きは、函館、札幌、旭川、釧路行きは飛行機の往復利用でしたが・・・。そういえば、北海道への帰省で、上野発の特急「はつかり」または「ゆうづる」号乗車、青函連絡船乗船、北海道内の特急「北海」、「おおぞら」乗車での帰省はいつだったのかはもう記憶の彼方にありますね。ということは昭和50年以降は使っていないような・・・。新東京国際空港(成田空港)から、私、ふらぬいの海外出張(旅行)が始まったのは昭和54年で、それ以降の北海道行きや、九州、四国、沖縄行きは飛行機になりましたからね。しかも旅行先ではレンタカー、つまり車での移動でしたね。ということは鉄道をあまり利用していなかったことになります。ということは、私、ふらぬいも鉄道をほとんど利用していなかったことになり、わが身を反省至極なのですけどね。でも、東京、横浜(神奈川県)内移動は電車ですね。便利ですからね。本当に頻度繁く使いこなしていますよ。このような立場の者が、JR北海道の鉄道廃線に苦言を呈してもどうなるものでもありませんが・・・。

私、ふらぬいが、横浜、神奈川県にやってきた時(昭和45年頃)には、多分、北海道と神奈川県の人口はほぼ500万人でおなじくらいだったように思います。しかしながら令和4年には、北海道が520万人、神奈川県が920万人と、北海道の約1.8倍の住人が北海道の3%に満たない面積の神奈川県に住んでいるのです。まして横浜市に限ればその人口密度は大変なものです・・・。比較自体が?かも・・・。でも、このことで北海道では鉄道の廃線が引きも切らず?にあり、横浜では地下鉄道の新線の開通が引きも切らず?にあるとは言いませんが・・・。

これからは、私、ふらぬいの勝手な持論ですが、北海道は広大な土地があるとの利を利用していないのではないかと思うのですね。北海道は「でっかいどう」で自然から得られるものを必ずしも有効活用できていない(させられていないが正しい)と言えます。農業、漁業、畜産、かっては石炭、金属などの鉱物資源も豊富にあったやに思いますが、日本国がある時点から、海外から輸入した方が安価で効率的とか、北海道の利用価値がどんどん落ちていったのでしたね。
北海道の鉄道廃線の歴史は北海道の利用価値がどんどん落ちて行った歴史でもあったようにおもいますね。その最たるものが今回の留萌本線の廃線かなと私、ふらぬい、無理矢理こじつけたりしますが・・・。
北海道の留萌市、留萌地方は私、ふらぬいが幼少の頃(昭和2、30年頃)、北海道ではもっとも産業が発展している町だったような・・・。近くに留萌炭鉱、天塩炭鉱、羽幌炭鉱があり、海産物はニシン漁が最盛期で、留萌市の賑わいはそれは素晴らしかったように思いますけど・・。当時は、いつまでも留萌市、留萌地域の発展が続くかと思えましたが、まわりの炭鉱の閉山と、漁業、特ににしん漁の衰退で産業構造が崩れてきたようでしたね(そのように思います)。でも、北海道の産業が苦境になったのは、日本の産業発展と表裏一体でしょうと私、ふらぬいは思うのです。日本の円高が1ドル、360円から308円、240円、120円、100円を割り、なんと、79円台になり、北海道ばかりでなく日本国内の産業構造も壊れてしまったと思います。その間に北海道の鉄道は次から次と廃線になり、公共交通としての役割を放棄し、本当にいびつな鉄道になっていきましたね。留萌本線の留萌ー石狩沼田に続き、石狩沼田ー深川もやがては廃線になり、根室本線の富良野ー新得の鉄道路線も来年には無くなり、函館本線の長万部ー余市、小樽の鉄道路線までが無くなると計画されてもいます。北海道の鉄道はさらにさらになくなっていきます。北海道新幹線の札幌延伸がJR北海道の営業改善、それらを支えるとは思えませんし、まもなく北海道の鉄道は、新千歳空港と札幌を接続するものを除きなくなるのかも。すこし怖い気もしますが・・・。

私、ふらぬいが勝手に思いますに、鉄道の存続に、乗客が何人だから車両で運ぶのにいくら赤字になるとの考え方では鉄道の鉄路がなくなるのは当然だと思います。JR北海道の廃止線区(鉄道廃線)決定はすべてこの論理で行われますね。間違っているのではありませんか。乗客が少ない線区で運ぶものはかっては色々な物資がありましたね。北海道では農産物、海産物など漁業資源、鉱物資源などですね。そちらが無くなったから乗客だけを運びますとの論理でしょう。北海道の鉄路は、どこか都会の鉄路とは違いますからね。都会の鉄路、特に私鉄はターミナル駅ばかりではありませんが、商業施設や遊戯、観光施設と結びついています。鉄路に必ずそれらの施設が数か所ありますね。そちらが乗客を集める働きをしていますよね。都会の私鉄、JRもそうですが、乗客を増やす努力をしているように思います。JR北海道の集客努力が他のJRに比べ劣っているとは思いませんが、中心の駅には集客のため何かを具備するべく方策があってもよいのでは・・・。北海道ではJRの鉄道駅と離れた場所に道の駅が造られているそうな・・・。じゃあ、車でとなりますね。これはどちらが先かはわかりませんが・・・。

あっ、JR北海道の鉄道と比べるつもりはありませんが、北海道では電力は相変わらず石炭火力と一部天然ガスの発電所の電気で、あの泊(とまり)原発、原子力発電所は東日本大震災の福島原発事故以来、停止したままで、もう10年以上も使っていないのだとか。太陽光と風力に期待しているとすれば、一時期、北海道で大規模なブラックアウトが発生したことがありましたね。忘れてはいませんよね。ブラックアウトはいつかまた、起こる可能性がありますからね。太陽光とか風力の電力は一次(主要)電源にはなりえません。制御がきかない電力には必ずバックアップ電源がいります。このことはブログで何度か書きましたね。繰り返して失礼。
どこかの週刊誌にどなたかが「ドイツが原発を全廃した、全廃できた。それなのに、日本は何故できない、「哲学」がないのか」とか書いていましたが、ドイツは何かあったらフランスの電力(原発です)をバックアップにつかえますからね。EU諸国は電力の相互補完、それが出来ます。日本国は周りが海ですから何かあったら助けてくれる国はないですからね。
電力はバックアップ電力が必須なのですけどね。自然エネルギーの電力だけに頼るのはいつか起こるブラックアウトを待つことになります。

北海道の泊原発はかって茅沼(かやぬま)炭鉱があった地域に建設された原発ですね。茅沼炭鉱は北海道で最初に鉄道が敷設された地でもあるそうです。石炭を運ぶための鉄道で、客は乗せなかったとか。でも北海道開拓史には燦然と輝く歴史を持っています。茅沼は私、ふらぬいの長兄の出生地でもありました。かっては函館本線小沢(こざわ)から、岩内(いわない)方面に鉄道が伸びていましたね。もちろんもう廃線になっていますが・・・。
留萌市から、宗谷本線の幌延(ほろのべ)と接続する羽幌(はぼろ)線が稚内(わっかない)に向け伸びておりました。かって羽幌(はぼろ)という大きな町がありました。ふらぬいの次兄の出生地が羽幌の築別(ちくべつ)炭鉱です。羽幌の町は漁業と炭鉱で栄えており、本当に大きな町だったそうです。私、ふらぬいは出かけたことがありませんが・・。
留萌本線の恵比島(えびしま)駅から留萌鉄道(私鉄の炭鉱鉄道)が昭和(しょうわ)まで延びておりました。私、ふらぬいは、途中駅、新雨竜(しんうりゅう)駅があった浅野(あさの)町で生をうけました。浅野炭鉱のあった浅野の町もそれなりに大きな町でした。
私、ふらぬいの町も兄達の町ももう鉄道は繋がっておりません。さらにさらに、私、ふらぬいの浅野炭鉱の町はホロピリ湖の水底に沈んでおりますが・・・。

北海道の鉄路廃線の歴史が北海道の立ち位置の低下、産業構造の低下の歴史でもあります。どこかでこのことに歯止めをかけ、新しい鉄路が延伸されること願うものです。北海道に新しい地下鉄路が必要でしょうか・・・。

横浜の地下鉄道開通の明るい話題から、北海道の鉄道廃線の寂しいブログに内容がぶれました。でも、北海道頑張れとの気持ちは人一倍ありますよ。失礼しました。









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