相鉄新横浜線・東急新横浜線(相鉄・東急直通線)に乗車してきました
令和5年3月もまもなく終わりますね、私、ふらぬい、この年度末に何か新しいことに挑戦をとひそかに考えておりました。横浜の新鉄路挑戦がそれなのですが・・・。それで、先週の日曜日です、私、ふらぬい意を決して、横浜の地下新線(相鉄新横浜線・東急新横浜線)に乗車すべく、横浜若葉台の自宅から横浜新鉄路探訪に出かけました。横浜の新鉄路、相鉄・東急直通新横浜線の開業はその前日、3月18日のことでした。横浜市というより神奈川県内で営業運転している大手私鉄が相互接続運転することも初めてのことでもありますし、どうなっている、どうなっていくのかも興味がありました。新横浜駅は新幹線の停車駅ですが、JR横浜線と横浜市営地下鉄が接続している駅でもありました。ふらぬいの行き先は新横浜駅ではなく、東急東横線の日吉駅で、横浜の新地下鉄(相鉄・東急新横浜線)の乗り心地確認のためでした。
私、ふらぬい、横浜若葉台の自宅からバスでJR横浜線十日市場駅に出かけ、JR横浜線に乗車、隣駅の中山駅へ。中山から横浜市営地下鉄に乗車、日吉駅に出かけることにしました。横浜市営地下鉄グリーンラインに乗車です。終点の日吉で市営地下鉄を下車、東急東横線日吉から、横浜の新地下鉄、東急新横浜線に乗車しました。乗車電車は東急の車両でしたが、行き先は新横浜まででした。その日、日吉駅のホームも電車も大混雑しておりましたが、新綱島、新横浜と二駅乗車で、東急新横浜線の体験乗車は終了しました。新横浜駅からは同じホームで後からきた電車を待ち、相鉄新横浜線の鉄路を相鉄の車両に乗り地下鉄路を進み、羽沢横浜国大駅に到着、新横浜と羽沢横浜国大の線路が相鉄新横浜線の新鉄路でありました。東急新横浜線と相鉄新横浜線は短い鉄路ですが、この鉄路接続が横浜の私鉄の鉄路接続の嚆矢(こうし、物事の始め)となったのです。ふらぬいの乗った相鉄電車は相鉄線西谷、鶴ヶ峰を経て二俣川に到着しました。相鉄の電車は相鉄いずみの線終点の湘南台行きでした。私、ふらぬいは二俣川で電車を降り、相鉄本線の三ツ境で降りるため、あとから羽沢横浜国大経由でやってきた、JRの電車に乗り換えました。JRの電車は新宿方面からやってきた電車のようで、三ツ境まで私、ふらぬいを運んでくれました。ふらぬいの横浜新鉄路探訪の旅は終わりました。
私、ふらぬい、50年以上前、北海道から横浜に出てきて、会社勤めを始めて、約4年間は東急東横線日吉が最寄り駅で、東横線日吉から菊名へ。JR横浜線に乗り換え菊名からJRで新横浜を過ぎ、JR横浜線鴨居駅でJRを降り、1時間弱で職場に通っておりました。また、その4年以降約10年間は相鉄線大和駅が最寄り駅で、相鉄線横浜駅経由JR京浜東北線で横浜から東神奈川まで乗車、東神奈川からJR横浜線で鴨居まで通勤しておりました。また、その4年後には通勤経路を変更し、小田急線大和から小田急線町田で降車し、JR横浜線原町田(現町田)駅まで歩き、原町田駅からJRで鴨居駅行きでした。通勤に1時間半以上はかかっておりました。現在は横浜若葉台に移り、最寄り駅がJR横浜線十日市場駅になっておりました。通勤に便利なところに住まいを移したものですから、JR横浜線鴨居行きは約30分超の快適な通勤でもありました。その後、職場や勤務先が何度か変わり、また、職場の工場閉鎖があったりして、通勤が東京都内になり、通勤に1.5時間以上長時間かかる状況になり、大変なことでもありました。最終的には京王線八幡山駅が最寄り駅の約2時間弱の通勤でもありました。どれだけの電車乗り換えがあるか・・・。もうその通勤(痛勤?)も終わっておりますから、今となっては、懐かしい通勤なのですけどね。ですから、今回、相鉄・東急直通線が開通してもなんらメリットはないのですが、今回の地下鉄新線開通でメリットを享受する利用者も多いと推察はされますがね。あっ、
そうそう、相鉄、東急沿線住民の新横浜利用者は非常に好都合なのでしょう。新幹線利用者と横浜サッカースタジアム、横浜アリーナ利用者でしょうかね。新横浜は横浜市営地下鉄、そして今度の相鉄・東急直通新横浜線(こちらも地下鉄です)の接続で大きく発展しそうに思いますね。
私、ふらぬいが、北海道富良野(上富良野ですが・・)から、神奈川県横浜に出てきた当時は、新横浜は新幹線が止まる駅ではありましたが駅のまわりには大きな建物はなかったような・・・。でも、あの見すぼらしい新横浜駅界隈が、あれから50年以上経過し、あの横浜駅に匹敵する駅になってきたように思いますね。それはそれは地下鉄道が果たす役割は大きいのかも・・・。
私、ふらぬい、新横浜駅周辺の発展状況をつぶさに見て、横浜の地下鉄道の果たす役割は本当に大きなものと思いますね。横浜、神奈川県における新規鉄道延伸はほとんどが地下を目指した鉄道ですね。東急田園都市線の長津田、中央林間延伸、東急新横浜線、相鉄新横浜線、横浜と元町中華街を繋ぐみなとみらい線も地下鉄道です。さらに横浜市営地下鉄、ブルーラインとグリーンラインも地下鉄ですね。横浜の新規鉄道は新駅がやはり地下駅なのですね。
新しい鉄路は極力、踏切を無くし、ホームと駅舎は地下につくるようになり、交通障害が発生しないように作られているようですね。今回新規に開通した東急新横浜線、相鉄新横浜線がその嚆矢(こうし)になるのではないでしょうか。
一方、私、ふらぬいの第一の故郷、北海道の(石狩)沼田町を通過する留萌本線(留萌ー深川間)の一部、留萌ー(石狩)沼田間の鉄路がこの3月いっぱいで廃線になります。留萌市が留萌本線の継続の必要性を示さなかったとかで、留萌ー(石狩)沼田間廃線が決まり、(石狩)沼田ー深川間が2026年3月に廃線になるのだとか。私、ふらぬい、若かりし頃、留萌本線、(石狩)沼田町の住人でもありました。齢7歳までですが、沼田町の二つ隣の駅、恵比島駅から炭鉱鉄道(留萌鉄道)が出ており、浅野炭鉱(新雨竜駅)、昭和炭鉱(昭和駅)と接続しておりました。私、ふらぬい、留萌鉄道を利用し、恵比島で留萌本線に乗り換え、沼田、深川、札幌、旭川行きを利用しておりました(していたような気がします、父母と一緒でしたから)。私、ふらぬいにとっても留萌本線や留萌市は非常に懐かしい響きで私、ふらぬいによみがえってきます。留萌は鉄道の要所で、留萌本線は留萌駅から増毛まで伸び、また沼田を過ぎ、深川までが留萌本線で、かの函館本線と接続しておりました。留萌駅からはかって羽幌線が宗谷本線幌延と接続しておりました。さらに天塩炭鉱鉄道も留萌駅に乗り入れておりましたね。留萌市からはかっての産業(石炭や漁業)を支えた鉄路はすべてなくなってしまいますね。残念ではありますが、仕方がないのかなと思います。さらに、留萌本線(深川と沼田間)の沼田町からはかって札幌と接続していた札沼線の鉄路がありました。札幌と旭川を接続する函館本線のバックアップ鉄路だったように思いますがね・・・。沼田町と札幌市間の鉄路接続がなくなってかなり年月が経過しておりますがね。もう、いつまでそれらの鉄路があったとの認識も薄れつつあります。それだけ北海道の道内鉄路が廃止となっていますからね。北海道では現在存在している鉄路を維持することが非常に困難なのでしょう。鉄路を維持するにはやはり、ヒト、モノ、かねが必要です。北海道の鉄道ではそれが厳しいのでしょう。私、ふらぬい、JR北海道のかたをもつつもりはありませんが、北海道の鉄道を国鉄からJR北海道に転換した段階で北海道内の膨大な鉄路維持が困難になってきたのではないでようか。あっ、私、ふらぬい、JR北海道を、それでも応援する立場にはありませんからね。
横浜市の鉄路が地下鉄路で新しい鉄路を延伸しているのは、ヒト、モノ、かねをかけずに鉄路を延伸して営業範囲を広げているからです。もちろん新しい鉄路を延伸するのはお金はかかります。それは将来の営業努力で取り返すことができるとみているからです。地下鉄路は作り上げるにはお金がかかりますが、鉄路と設備の保守・保全・維持に大きなお金が突然発生することは少ないでしょう。やはり新しい鉄路は地下鉄路になっていくのが新鉄路の必然性なのでは・・・。
相鉄新横浜線・東急新横浜線(相鉄・東急直通線)に乗車して、北の鉄路のことを考えてきたブログです。私、ふらぬいの大学時代(電子工学科)の友人に北海道留萌高校、北海道沼田高校出身者がおりました。留萌高校はまだあるそうですが、沼田高校はもうないそうなのですね。私、ふらぬいの出身校北海道富良野高校は空知川近くの校舎、学び舎からやがては富良野緑峰高校の校舎に移って存続するのだとか・・。根室本線の富良野ー新得間の鉄路も来年には廃線になりますね。旭川と富良野を結ぶ富良野線はいつまで頑張れるのか・・・。
公開にひと月と時間がかかりました。失礼しました。
私、ふらぬい、横浜若葉台の自宅からバスでJR横浜線十日市場駅に出かけ、JR横浜線に乗車、隣駅の中山駅へ。中山から横浜市営地下鉄に乗車、日吉駅に出かけることにしました。横浜市営地下鉄グリーンラインに乗車です。終点の日吉で市営地下鉄を下車、東急東横線日吉から、横浜の新地下鉄、東急新横浜線に乗車しました。乗車電車は東急の車両でしたが、行き先は新横浜まででした。その日、日吉駅のホームも電車も大混雑しておりましたが、新綱島、新横浜と二駅乗車で、東急新横浜線の体験乗車は終了しました。新横浜駅からは同じホームで後からきた電車を待ち、相鉄新横浜線の鉄路を相鉄の車両に乗り地下鉄路を進み、羽沢横浜国大駅に到着、新横浜と羽沢横浜国大の線路が相鉄新横浜線の新鉄路でありました。東急新横浜線と相鉄新横浜線は短い鉄路ですが、この鉄路接続が横浜の私鉄の鉄路接続の嚆矢(こうし、物事の始め)となったのです。ふらぬいの乗った相鉄電車は相鉄線西谷、鶴ヶ峰を経て二俣川に到着しました。相鉄の電車は相鉄いずみの線終点の湘南台行きでした。私、ふらぬいは二俣川で電車を降り、相鉄本線の三ツ境で降りるため、あとから羽沢横浜国大経由でやってきた、JRの電車に乗り換えました。JRの電車は新宿方面からやってきた電車のようで、三ツ境まで私、ふらぬいを運んでくれました。ふらぬいの横浜新鉄路探訪の旅は終わりました。
私、ふらぬい、50年以上前、北海道から横浜に出てきて、会社勤めを始めて、約4年間は東急東横線日吉が最寄り駅で、東横線日吉から菊名へ。JR横浜線に乗り換え菊名からJRで新横浜を過ぎ、JR横浜線鴨居駅でJRを降り、1時間弱で職場に通っておりました。また、その4年以降約10年間は相鉄線大和駅が最寄り駅で、相鉄線横浜駅経由JR京浜東北線で横浜から東神奈川まで乗車、東神奈川からJR横浜線で鴨居まで通勤しておりました。また、その4年後には通勤経路を変更し、小田急線大和から小田急線町田で降車し、JR横浜線原町田(現町田)駅まで歩き、原町田駅からJRで鴨居駅行きでした。通勤に1時間半以上はかかっておりました。現在は横浜若葉台に移り、最寄り駅がJR横浜線十日市場駅になっておりました。通勤に便利なところに住まいを移したものですから、JR横浜線鴨居行きは約30分超の快適な通勤でもありました。その後、職場や勤務先が何度か変わり、また、職場の工場閉鎖があったりして、通勤が東京都内になり、通勤に1.5時間以上長時間かかる状況になり、大変なことでもありました。最終的には京王線八幡山駅が最寄り駅の約2時間弱の通勤でもありました。どれだけの電車乗り換えがあるか・・・。もうその通勤(痛勤?)も終わっておりますから、今となっては、懐かしい通勤なのですけどね。ですから、今回、相鉄・東急直通線が開通してもなんらメリットはないのですが、今回の地下鉄新線開通でメリットを享受する利用者も多いと推察はされますがね。あっ、
そうそう、相鉄、東急沿線住民の新横浜利用者は非常に好都合なのでしょう。新幹線利用者と横浜サッカースタジアム、横浜アリーナ利用者でしょうかね。新横浜は横浜市営地下鉄、そして今度の相鉄・東急直通新横浜線(こちらも地下鉄です)の接続で大きく発展しそうに思いますね。
私、ふらぬいが、北海道富良野(上富良野ですが・・)から、神奈川県横浜に出てきた当時は、新横浜は新幹線が止まる駅ではありましたが駅のまわりには大きな建物はなかったような・・・。でも、あの見すぼらしい新横浜駅界隈が、あれから50年以上経過し、あの横浜駅に匹敵する駅になってきたように思いますね。それはそれは地下鉄道が果たす役割は大きいのかも・・・。
私、ふらぬい、新横浜駅周辺の発展状況をつぶさに見て、横浜の地下鉄道の果たす役割は本当に大きなものと思いますね。横浜、神奈川県における新規鉄道延伸はほとんどが地下を目指した鉄道ですね。東急田園都市線の長津田、中央林間延伸、東急新横浜線、相鉄新横浜線、横浜と元町中華街を繋ぐみなとみらい線も地下鉄道です。さらに横浜市営地下鉄、ブルーラインとグリーンラインも地下鉄ですね。横浜の新規鉄道は新駅がやはり地下駅なのですね。
新しい鉄路は極力、踏切を無くし、ホームと駅舎は地下につくるようになり、交通障害が発生しないように作られているようですね。今回新規に開通した東急新横浜線、相鉄新横浜線がその嚆矢(こうし)になるのではないでしょうか。
一方、私、ふらぬいの第一の故郷、北海道の(石狩)沼田町を通過する留萌本線(留萌ー深川間)の一部、留萌ー(石狩)沼田間の鉄路がこの3月いっぱいで廃線になります。留萌市が留萌本線の継続の必要性を示さなかったとかで、留萌ー(石狩)沼田間廃線が決まり、(石狩)沼田ー深川間が2026年3月に廃線になるのだとか。私、ふらぬい、若かりし頃、留萌本線、(石狩)沼田町の住人でもありました。齢7歳までですが、沼田町の二つ隣の駅、恵比島駅から炭鉱鉄道(留萌鉄道)が出ており、浅野炭鉱(新雨竜駅)、昭和炭鉱(昭和駅)と接続しておりました。私、ふらぬい、留萌鉄道を利用し、恵比島で留萌本線に乗り換え、沼田、深川、札幌、旭川行きを利用しておりました(していたような気がします、父母と一緒でしたから)。私、ふらぬいにとっても留萌本線や留萌市は非常に懐かしい響きで私、ふらぬいによみがえってきます。留萌は鉄道の要所で、留萌本線は留萌駅から増毛まで伸び、また沼田を過ぎ、深川までが留萌本線で、かの函館本線と接続しておりました。留萌駅からはかって羽幌線が宗谷本線幌延と接続しておりました。さらに天塩炭鉱鉄道も留萌駅に乗り入れておりましたね。留萌市からはかっての産業(石炭や漁業)を支えた鉄路はすべてなくなってしまいますね。残念ではありますが、仕方がないのかなと思います。さらに、留萌本線(深川と沼田間)の沼田町からはかって札幌と接続していた札沼線の鉄路がありました。札幌と旭川を接続する函館本線のバックアップ鉄路だったように思いますがね・・・。沼田町と札幌市間の鉄路接続がなくなってかなり年月が経過しておりますがね。もう、いつまでそれらの鉄路があったとの認識も薄れつつあります。それだけ北海道の道内鉄路が廃止となっていますからね。北海道では現在存在している鉄路を維持することが非常に困難なのでしょう。鉄路を維持するにはやはり、ヒト、モノ、かねが必要です。北海道の鉄道ではそれが厳しいのでしょう。私、ふらぬい、JR北海道のかたをもつつもりはありませんが、北海道の鉄道を国鉄からJR北海道に転換した段階で北海道内の膨大な鉄路維持が困難になってきたのではないでようか。あっ、私、ふらぬい、JR北海道を、それでも応援する立場にはありませんからね。
横浜市の鉄路が地下鉄路で新しい鉄路を延伸しているのは、ヒト、モノ、かねをかけずに鉄路を延伸して営業範囲を広げているからです。もちろん新しい鉄路を延伸するのはお金はかかります。それは将来の営業努力で取り返すことができるとみているからです。地下鉄路は作り上げるにはお金がかかりますが、鉄路と設備の保守・保全・維持に大きなお金が突然発生することは少ないでしょう。やはり新しい鉄路は地下鉄路になっていくのが新鉄路の必然性なのでは・・・。
相鉄新横浜線・東急新横浜線(相鉄・東急直通線)に乗車して、北の鉄路のことを考えてきたブログです。私、ふらぬいの大学時代(電子工学科)の友人に北海道留萌高校、北海道沼田高校出身者がおりました。留萌高校はまだあるそうですが、沼田高校はもうないそうなのですね。私、ふらぬいの出身校北海道富良野高校は空知川近くの校舎、学び舎からやがては富良野緑峰高校の校舎に移って存続するのだとか・・。根室本線の富良野ー新得間の鉄路も来年には廃線になりますね。旭川と富良野を結ぶ富良野線はいつまで頑張れるのか・・・。
公開にひと月と時間がかかりました。失礼しました。
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