民主党の代表選挙、鳩山前首相が小沢氏支持表明、応援するのが大義なんですと
鳩山前首相が民主党代表選挙に小沢氏支持を表明、「2003年の民主党・自由党合併で、小沢氏を私の一存で民主党に入ってもらったので、その経緯から私が応援するのが大義だ」と述べ、民主党代表選に立候補する小沢氏を支持する考えを表明したのだそうです。
大義とまた重い言葉を軽い気持ちで使ってしまった、鳩山前首相ですが、またまた、ブログで使ってしまうことになりました。
鳩山前首相が小沢前幹事長ともども、お辞めになった時に、前首相は退陣の弁で、「国民が聞く耳を持たなくなった」と述べておられました。私はそうではなく、前首相並びに政権党のおごり、たかぶりが国民を離反させているのですよ、とブログで書きました。「政治とカネ」、「普天間基地移設」、「郵政改革(改悪)」、「公務員改革」、「バラマキ」等々で、国民には賛同できないことを次々にやっていましたからですね。今でも政権党に対する、厳しい見方、考えは変わりません。
政権党の政治家の方々は国民に語るのを止めて来ていますよね。それが、日本のどうあるべきの方針を示す政権党の役割を放棄しつつあるのだと考えています。何事にも立ちつくす政治、手をこまぬく政治しか出来なくなりつつあるのが今の政権党です。
鳩山前首相がお辞めになったので、私のブログで封印してしまった事柄がありました。一つは、「尖閣列島どこかに献上」です。見識なき政治家に続いて書いてみたいと思いました。二つ目は「ヒヨドリは鳩山御殿ではなく竹島から」、これは、前首相が辞任を考えたきっかけが韓国で見た”ひよどり”でしたね。さらに、「北方4島ほっとくんですか」です。鳩山一郎の孫である前首相なら、少しは進展があると考えていたのですが、これも何も無かった。今回のロシア訪問で、どうなるか分かりませんがね。あまりに前首相を揶揄しすぎるのと、政治的すぎるので、本当に封印してしまいました。さらに、引退も示唆されていましたので、私自身が、かなり仏教の教義に詳しくなっている手前、引退される方に対し、ブログの品位があまりに落ちるだろうと封印をしました。タイトルが内容を示唆しているようですが、私のブログは始めと終わりで論拠が異なる、またかなりずれる場合がありますので、書いたものを公開しなければ内容は分からない訳ですからね。本当は前首相の応援ブログなのかも知れませんよ。
またまた、内容がずれました。失礼、戻します。
今回の小沢氏支持表明に、鳩山前首相は”大義(たいぎ)”と言う重い言葉を使われていましたので、タイトルの如くブログに書くことにしました。同じ発音ですが”大儀”であった、の”たいぎ”もありますが、こちらは”ほねのおれること。くたびれること”であり”人のほねおりをいたわる言葉。ごくろうさん”ですから、まったく違いますね。
大義とは、広辞苑によれば、①重要な意義。大切な意味 、②人のふみ行うべき重大な道義。特に、主君や国に対して臣民のなすべき道ですね。大義名分として使いますね。大義名分は、①人としてまた臣民として守るべき節義と分限、②行動の理由付けとなるはっきりとした根拠ですね。鳩山前首相は、大義、大義名分どちらも②として使ったのでしょう。
個人的には日本国の首相経験者が、国の首相を決めることになる政権党の代表を決める選挙候補者支持に、私が三顧の礼を尽くして迎えたのだから支持するのは当然となるのですかね。三顧の礼(さんこのれい)とは、三国志の主役の一人、劉備が諸葛亮を自軍に招聘する為、諸葛亮邸を三度にわたり 訪れた事ですね。現在でも才有る人を招く時に礼を尽くす時などに用いられるとあります。鳩山前首相は小沢氏を諸葛亮の如く考えているのでしょう。
私は城山三郎さんのファンで彼の本はほとんど読んでいるのですが、大義を振りかざす人間については少し引いて観ています。国家の大義、会社、人の大義を振りかざした人は、主君、国、上司が代われば大義の中身が無かったことがはっきりしていますしね。あの、鳩山前首相の言葉を揶揄してはいませんからね。でも、揶揄してるって言いますか。でも、この場合、大義を使うかな・・・。
鳩山前首相はこれまで、菅首相の続投支持を公言してきましたが、8月26日は「首相を民主党の一議員として応援するのは当然だという意味で言った」と事実上撤回したことになります。また、「政治とカネ」の問題を抱える小沢氏が立候補する是非については、「自分自身の問題がありながら、国のために命を賭けたいと決断した。ご自身がそのことはしっかりとなさる」と述べたそうです。さらに、小沢氏が勝った場合に政権交代から約1年間で首相が2回交代することについては、「よりよい国になれば、(国民の)評価は変わる」と強調したそうです。
私は君子豹変自体はそんなに問題視するものではありません。朝令暮改も悪くは無いと思っています。過ちを改めるに恥じることはない、等ずっとそうしてきた?、そう言う目に遭ってきた?、からでもありません。ですが、一国の首相を大義で選ばれては道を間違いますよと言いたいのです。
鳩山前首相は「よりよい国になれば、(国民の)評価は変わる」と強調しました。これは真実ですが、3ヶ月前に、「政治とカネ」で政治不信を招き、さらに「普天間問題、郵政改革(改悪)、公務員改革、バラマキ等」やって、より良い国どころか悪い国にした張本人お二人、鳩山前首相と小沢前幹事長のお二人が、より良い国を創ることになるとはどう考えても無理でしょう。いまさら、国のために命を賭けたいと言われましてもね。
国民の鳩山前首相、小沢前幹事長を見る目は厳しいですよ。国民は聞く耳は持っていますが、聞く耳をもたない、国民の側を見ようともされない方はどなたなのでしょう。沖縄の海に杭を打ち込むのが自然への冒涜であると同様に、政権党の代表選挙にへんな大義を持ち出すことなど不要です。国民の側に聞く耳をたてる方が良いのではないですか。やはり、小沢氏が代表選挙で勝利したら、解散総選挙をやって、国民の声に耳を傾けると良いと思います。菅首相が勝利して、解散総選挙も悪くは無いですが、この国家の一大事の時期、円高、財政難、経済不振、社会保障崩壊等、なんとかいち早くくい止め、日本国を良い方向に持っていって欲しいし、悩ましい所ですね。
今の政権党の終わりの始まりが始まったのでなければ良いのですが。
でも、今の政権党の終わりが、より良い国への始まりかもしれないですからね。
政権党は日本国をより良い国にするよう真剣に頑張って下さい。
大義とまた重い言葉を軽い気持ちで使ってしまった、鳩山前首相ですが、またまた、ブログで使ってしまうことになりました。
鳩山前首相が小沢前幹事長ともども、お辞めになった時に、前首相は退陣の弁で、「国民が聞く耳を持たなくなった」と述べておられました。私はそうではなく、前首相並びに政権党のおごり、たかぶりが国民を離反させているのですよ、とブログで書きました。「政治とカネ」、「普天間基地移設」、「郵政改革(改悪)」、「公務員改革」、「バラマキ」等々で、国民には賛同できないことを次々にやっていましたからですね。今でも政権党に対する、厳しい見方、考えは変わりません。
政権党の政治家の方々は国民に語るのを止めて来ていますよね。それが、日本のどうあるべきの方針を示す政権党の役割を放棄しつつあるのだと考えています。何事にも立ちつくす政治、手をこまぬく政治しか出来なくなりつつあるのが今の政権党です。
鳩山前首相がお辞めになったので、私のブログで封印してしまった事柄がありました。一つは、「尖閣列島どこかに献上」です。見識なき政治家に続いて書いてみたいと思いました。二つ目は「ヒヨドリは鳩山御殿ではなく竹島から」、これは、前首相が辞任を考えたきっかけが韓国で見た”ひよどり”でしたね。さらに、「北方4島ほっとくんですか」です。鳩山一郎の孫である前首相なら、少しは進展があると考えていたのですが、これも何も無かった。今回のロシア訪問で、どうなるか分かりませんがね。あまりに前首相を揶揄しすぎるのと、政治的すぎるので、本当に封印してしまいました。さらに、引退も示唆されていましたので、私自身が、かなり仏教の教義に詳しくなっている手前、引退される方に対し、ブログの品位があまりに落ちるだろうと封印をしました。タイトルが内容を示唆しているようですが、私のブログは始めと終わりで論拠が異なる、またかなりずれる場合がありますので、書いたものを公開しなければ内容は分からない訳ですからね。本当は前首相の応援ブログなのかも知れませんよ。
またまた、内容がずれました。失礼、戻します。
今回の小沢氏支持表明に、鳩山前首相は”大義(たいぎ)”と言う重い言葉を使われていましたので、タイトルの如くブログに書くことにしました。同じ発音ですが”大儀”であった、の”たいぎ”もありますが、こちらは”ほねのおれること。くたびれること”であり”人のほねおりをいたわる言葉。ごくろうさん”ですから、まったく違いますね。
大義とは、広辞苑によれば、①重要な意義。大切な意味 、②人のふみ行うべき重大な道義。特に、主君や国に対して臣民のなすべき道ですね。大義名分として使いますね。大義名分は、①人としてまた臣民として守るべき節義と分限、②行動の理由付けとなるはっきりとした根拠ですね。鳩山前首相は、大義、大義名分どちらも②として使ったのでしょう。
個人的には日本国の首相経験者が、国の首相を決めることになる政権党の代表を決める選挙候補者支持に、私が三顧の礼を尽くして迎えたのだから支持するのは当然となるのですかね。三顧の礼(さんこのれい)とは、三国志の主役の一人、劉備が諸葛亮を自軍に招聘する為、諸葛亮邸を三度にわたり 訪れた事ですね。現在でも才有る人を招く時に礼を尽くす時などに用いられるとあります。鳩山前首相は小沢氏を諸葛亮の如く考えているのでしょう。
私は城山三郎さんのファンで彼の本はほとんど読んでいるのですが、大義を振りかざす人間については少し引いて観ています。国家の大義、会社、人の大義を振りかざした人は、主君、国、上司が代われば大義の中身が無かったことがはっきりしていますしね。あの、鳩山前首相の言葉を揶揄してはいませんからね。でも、揶揄してるって言いますか。でも、この場合、大義を使うかな・・・。
鳩山前首相はこれまで、菅首相の続投支持を公言してきましたが、8月26日は「首相を民主党の一議員として応援するのは当然だという意味で言った」と事実上撤回したことになります。また、「政治とカネ」の問題を抱える小沢氏が立候補する是非については、「自分自身の問題がありながら、国のために命を賭けたいと決断した。ご自身がそのことはしっかりとなさる」と述べたそうです。さらに、小沢氏が勝った場合に政権交代から約1年間で首相が2回交代することについては、「よりよい国になれば、(国民の)評価は変わる」と強調したそうです。
私は君子豹変自体はそんなに問題視するものではありません。朝令暮改も悪くは無いと思っています。過ちを改めるに恥じることはない、等ずっとそうしてきた?、そう言う目に遭ってきた?、からでもありません。ですが、一国の首相を大義で選ばれては道を間違いますよと言いたいのです。
鳩山前首相は「よりよい国になれば、(国民の)評価は変わる」と強調しました。これは真実ですが、3ヶ月前に、「政治とカネ」で政治不信を招き、さらに「普天間問題、郵政改革(改悪)、公務員改革、バラマキ等」やって、より良い国どころか悪い国にした張本人お二人、鳩山前首相と小沢前幹事長のお二人が、より良い国を創ることになるとはどう考えても無理でしょう。いまさら、国のために命を賭けたいと言われましてもね。
国民の鳩山前首相、小沢前幹事長を見る目は厳しいですよ。国民は聞く耳は持っていますが、聞く耳をもたない、国民の側を見ようともされない方はどなたなのでしょう。沖縄の海に杭を打ち込むのが自然への冒涜であると同様に、政権党の代表選挙にへんな大義を持ち出すことなど不要です。国民の側に聞く耳をたてる方が良いのではないですか。やはり、小沢氏が代表選挙で勝利したら、解散総選挙をやって、国民の声に耳を傾けると良いと思います。菅首相が勝利して、解散総選挙も悪くは無いですが、この国家の一大事の時期、円高、財政難、経済不振、社会保障崩壊等、なんとかいち早くくい止め、日本国を良い方向に持っていって欲しいし、悩ましい所ですね。
今の政権党の終わりの始まりが始まったのでなければ良いのですが。
でも、今の政権党の終わりが、より良い国への始まりかもしれないですからね。
政権党は日本国をより良い国にするよう真剣に頑張って下さい。
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