旅の想い出断章5 ウルグアイ、モンテビデオとプンタ・デル・エステ

今回のワールドカップサッカー南アフリカ大会でウルグアイチームは強かったですね。最終的には3位決定戦でドイツに敗れましたが、4位でしたね。すばらしい成績でした。本当は日本チームがこの4位に滑り込めると、岡田監督の言葉通り、日本チーム、サムライブルーは良くやった大健闘だになったのでしょうが、決勝トーナメント1回戦で南米のパラグアイに負けてしまいました。つまり日本は16強で終わったのでした。でも、日本チームの戦いぶりは日本国民に感動をもたらしたのでした。よくやったと、あの小惑星探査機「はやぶさ」帰還に勝るとも劣らぬ歓迎を、日本帰国時に与えられたのでした。私は、今回は惜しかったね、もう少しだったね、次回はもっと頑張ろうねで良かったのではと思いましたが、小惑星探査機「はやぶさ」以上の凱旋帰国と大歓迎でしたね。確かに感動しましたからね。それ以上に、周りの人たちがそれに乗ったかたちに見えたのは私だけでしょうかね。それでも、いいんですよ。16強でも日本人にしてみれば本当に嬉しいことなのです。

それで、4強、4位のウルグアイです。ウルグアイはワールドカップサッカーの第1回で優勝していますので、4位くらいでは騒がない、なんてのは嘘で、彼らも帰国時は大歓声で迎えられたのですよ。なんと言っても、アルゼンチン、ブラジル、チリ、パラグアイより上位にあって、南米じゃあ一番でしたからね。

それで私も悪のりしますからね。せっかく世界の注目を浴びたウルグアイを放っとくことはしませんからね。仕事の延長で出かけたウルグアイ、私も若かりし頃、この国に出かけていましたからね。街角散歩ではありませんが、私がウルグアイに出かけた記録なんですよ。写真ははっきり言って古いです。でも、一枚の写真が私の一期一会の瞬間を思い出させてくれます。なんといっても、地球の裏側、ウルグアイなのです。大げさですね。

それで、ワールドカップサッカー南アフリカ大会第4位の国、ウルグアイの旅の想い出断章始めます。

この国には今から、29年前に出かけたことになるんです。アルゼンチンのブエノス・アイレスの国内航空の飛行場、アエロパルケと皆が呼んでいる飛行場から出掛けました。南半球にあるウルグアイですから、12月末、真夏のとても暑い時期です。

当時の写真なのですが、貼り付けますね。私も30代半ばですので、非常にスリムな若者の体型ですので、私自身も間違えてしまいます。誰が誰やら分からないので、他人様を、といっても仕事上の友人です、私と偽って写真に載せていたら謝りますからね。本当にこの、うん十年でこんなに体型が違ってしまって、忸怩たるものがありますね。そんなことより、確かにこの時期に、ウルグアイのモンテビデオ、さらにプンタ・デル・エステに私自身の足跡を残してきていたのです。その時の記録です。しっかりと説明ができるかどうか心配なのですが、ワールドカップサッカー南アフリカ大会4位のウルグアイ国を紹介するのですから、粗相があっては、失礼です。失礼なことないですって? そうですか、ちょっと自信になりますね。

まず、大きな地図を貼り付けます。アルゼンチンのブエノス・アイレスとウルグアイ、モンテビデオとプンタ・デル・エステの町が全部入っているGoogle Mapです。
http://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&q=%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%82%B0%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%80%80%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%93%E3%83%87%E3%82%AA&ie=UTF8&hq=&hnear=%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%93%E3%83%87%E3%82%AA,+%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%82%B0%E3%82%A2%E3%82%A4&gl=jp&ei=-bpDTMW4FIrovQPP8rX0DA&ved=0CBcQ8gEwAA&ll=-34.83635,-55.898437&spn=1.722297,5.603027&z=8&brcurrent=3,0x0:0x0,1
この地図では、ストリートビューできるところは少ないようです。でも地図があれば、なんとなくその町を歩いている気分になりますからね。うまく使って下さい。

今回の想い出断章は、日本の当時若者が、私です、見たモンテビデオとプンタ・デル・エステの町です。というよりは若者、私も含みます、が写っています。その後、20数年間で、日本経済の浮き沈みを見る訳ですが、この時点では、そんなこと何も知らない、Japan as No,1の日本の若者が元気に旅をしていたのですね。街角散歩にはなりませんが、ウルグアイ、モンテビデオの佇まいと、と言ってもほんの少しです、南米有数のリゾート地、プンタ・デル・エステの当時の姿をお楽しみ下さい。説明がきちんとできるか心配していますが、行きますよ。

まず、アルゼンチンの出発地、ブエノス・アイレスの国内及び近距離用の空港、アエロパルケから出発します。
飛行機の中から撮りました。アエロパルケの建物です。
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この空港はホルヘ・ニューベリー空港が正式名称です。まったく新しく改装されて近代的な空港に生まれ変わっていましたね。

アルゼンチンとウルグアイを隔てるラプラタ川は上流から赤土を運んでくるため、いつもこのような色をしていました。
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ウルグアイ、モンテビデオの町が見えてきました。
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モンテビデオのカラスコ国際空港です。これも当時のですからね。ここも新しい建物になっていますよ。
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モンテビデオの町の長距離バスターミナル近くで、みんなで撮りました。また、一人でも撮ってもらいました。モンテビデオとの一期一会の記録です。
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モンテビデオからプンタ・デル・エステまでは長距離バス、一本です。およそ2時間半で到着します。

プンタ・デル・エステはスペイン語で”東の岬”を意味する南米屈指のリゾート地です。大西洋に面し、高層ホテルが乱立しておりました。私どもjはホテル予約を取っておりませんが、海岸で遊びました。初めて見る大西洋でした。ホテルの建設ラッシュでもありました。もちろん、現在では美しい海岸と、高層リゾートホテル、リゾートマンションが整然と屹立する一大リゾート地に変貌済みなのでしょう。
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町の中心というより、通りの名称を、El Faroというのですから、灯台通りと言うのでしょうか。この通りの突き当たりに灯台がありました。これが、地名の由来の”東の岬”灯台なのでしょう。確かに見晴らしの良い高台にこの灯台はありました。
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ホテルというより、簡易宿泊書に宿をとりました。残念ながら写真に撮ってきておりませんでした。思うに、写真にも撮れないような簡易宿泊所だったように思います。小さな通りの奥にある、ただ寝るだけの宿泊所ということです。

簡易宿泊所は食事がついておりませんので、というよりそのような宿泊所にしたのです、プンタ・デル・エステで一番美味しいと評判の海鮮レストランにでかけました。これが記憶のレストランなのです。
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記憶では、クラムチャウダー、ムール貝を蒸したものと大きめの海老を、ヴィノ(ワイン)とセルベッサ(ビール)で頂いた記憶があります。だからなんなのよというのが食後の印象でした。南米で肉の代わりにお魚など海のものを食べるのはお金持ちの気分になるのですよ。

どういう訳か、夜も更けてから、カジノにでかけることになりました。この写真は翌日撮影したものです。
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50ドルで始めて100ドルまで稼ぎ、最終的にはすべて、カジノ側にお支払いしてカジノを出てきました。この町でカジノにやってくるお客さんは、私たちみたいに日本、アジアから仕事にやってくる者達ではありませんね。このカジノのお客さんにとっては、100ドルがディーラーにチップとして渡す最小金額でした。我々とは世界が違う人々が集うのが、このプンタ・デル・エステのカジノでしたね。お金を吸い取られた日本人は早く宿泊所に戻って寝ることにしました。

プンタ・デル・エステの当時のパンフレットがありました。明るく美しい海岸リゾートです。今でもこんなものを出しているのでしょうか。
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プンタ・デル・エステからモンテビデオに戻り、ブエノス・アイレスに戻るフライト出発まで、時間がありましたので、モンテビデオの観光スポット、セーロ要塞を見学にでかけました。
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セーロ要塞からはモンテビデオの町が遠くに眺められました。写真が良くないのはご容赦を。
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ブエノス・アイレスに戻る機内から撮った、モンテビデオの町です。今ではもっともっと美しい港町になっていると思いますが、私の記憶の片隅にあるモンテビデオの町はこのような町なのです。
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ワールドカップサッカー南アフリカ大会における、ウルグアイチームの活躍をだしに、30年近く前の想い出の旅、ウルグアイのモンテビデオとプンタ・デル・エステまで引っ張りました。昔訪れた想い出の町ですが、町の佇まいは昔のままで、今でも昔のまま残っている(と思っている)美しいウルグアイの町なのです。私の思い出アルバムの中にひっそりと貼ってあった写真を出してきてしまいました。ウルグアイのモンテビデオ、プンタ・デル・エステに興味を持たれ、是非、出掛けてみたいと思われた方がおられたとしたら幸いです。

ワールドカップサッカー南アフリカ大会第4位の国、ウルグアイの思い出ぶろぐ、旅の想い出の勝手なぶろぐ、断章でした。

この頃は、地球の歩き方始め旅のガイドブックが整備され、ほとんどの国の有様をガイドブックで調べてから旅行に出かけることが出来るようになりました。私がこの国を旅した時には、このようなガイドブックはまったくと言っていいほど無く、手探りの旅でした。アルゼンチンを旅した時もそうでしたが、ウルグアイも同様に、日本国、日本人の評判は良く、本当に先達、先輩のお陰で、後からやってきた日本人、私どもは良い思いをしてきました。本当に南米移住者の先達の頑張りには頭が下がります。我々も勿論正直者で日本人の後輩に迷惑をかける行いはこれぽっちも行っておりません。南米の国は、なかなか政治とか経済の世界の檜舞台には良い意味であまり出てきませんが、今回はサッカーで、それらの国名を印象付けました。もともと南米各地で生活していた、先住民であるインディオはモンゴロイドの末裔でありますので、我々と同じ先祖をもつ民族でもあります。それゆえ、アジア人に似た顔に出くわしますと、懐かしさでいっぱいになります。しかしながら、彼らがスペイン語を話すことは彼らの歴史がスペインに蹂躙された歴史でもあるわけです。そんな彼らですが明るく今を楽しんで生きているその場に自分の身を置くと、やはり同族のよしみで懐かしい感じがするのです。

約30年前のウルグアイ、モンテビデオとプンタ・デル・エステに思いを馳せてみました。

旅の想い出断章に番号を付けました。このブログは旅の想い出断章5です。

この記事へのコメント

2019年07月16日 17:18
保田賢也
秋庭伶香、関口雄飛
2019年07月16日 17:18
岸川聖也、川原誠也

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