アルゼンチンタンゴ 伝説のマエストロたち、めくるめくタンゴの世界に酔いしれて

昨日、6月29日です、「アルゼンチンタンゴ 伝説のマエストロたち」を、渋谷Bunkamura、ル・シネマで観てきました。ご存じの方も多いのかも知れませんね。この映画は、人々の旅情をかきたてる魅惑の街、ブエノスアイレス、南米アルゼンチンから届いた、マエストロたちによる一夜かぎりの奇跡のステージ、と映画の謳い文句にもありました。ブエノスアイレス、アルゼンチンタンゴ大好き人間の私、ふらぬいと致しましては、見逃すことのできない映画でありまして、これもあの一期一会か、大げさですね、と出かけました。映画館は渋谷東急本店ヨコにありますし、アルゼンチンタンゴですから服装もきちんとして出かけました。

では、宣伝も兼ねて映画館入り口にあったポスターをお見せしますね。
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この映画の正式なタイトルは「CAFE DE LOS MAESTROS」で、1940年代から50年代にアルゼンチンタンゴの黄金時代を築いた巨匠(マエストロ)たちを集めて行われたレコーディングとコンサートの模様を映画に記録したものです。コンサート会場はアルゼンチン、ブエノスアイレスのコロン劇場です。コロン劇場は世界三大劇場の一つですからご存じですね。私はコロン劇場の中に入ったことはありません。約30年前、7月9日(ノエベ・デ・フーリヨ)通りを通り、仕事への道すがら約2ヶ月間毎日、バスから眺めた劇場でした。今回の出演者、マエストロは、私のアルゼンチン、ブエノスアイレス滞在中にはもうすでにマエストロと崇め奉られておられた名人達ですから、この映画の出演者のマエストロたちはほとんどが高齢者です。でも、彼らがいったんタンゴ演奏、またはタンゴの歌や踊りに身を置くやいなや、一気にマエストロになってしまうのです。年齢なんてまったく感じさせませんでしたね。すばらしいドキュメンタリー映画だったと思います。コンサートの最後に演奏された曲は、マリアーノ・モーレス作曲の「軍靴のひびき」でした。なんとなく軍国調の題名ですが、原題は床を踏みならす踊りで使う靴のことなんです。この音楽にタンゴの踊りがマッチして最高に盛り上がって、すばらしいエンディングでもありました。

この映画を観ますと、マエストロは彼らの年齢ばかりでなく、私たちの年齢さえも忘れさせてくれます。芸術家ばかりではなく、一芸に秀でた、または自分の生き方をもっている人たちの人生の讃歌を垣間見たような気になりました。表現が、私、ふらぬいです、とはかなりかけ離れていますので、どこかに書かれていたのが、頭の中にインプットされていたのかな、と思います。我々の人生もそうあらねばといった感じにさせてくれるドキュメンタリー映画でした。

このあと、スペイン料理を食べに近くのレストランに出かけました。渋谷では名の知れた料理店です。スペイン料理ですから、パエーリャにイベリコ豚をビノ(スペインワイン)でとなりました。なんでアルゼンチン料理でないの?とのご質問ですか。そうです、アルゼンチン料理も考えました。でも、六本木に出かけるのもなんですし、この歳になったら、アルゼンチン料理は難しいのですね。あっ、そういえば、以前、ぶろぐでアルゼンチン、ブエノスアイレスのレストランと料理を紹介したことがありましたね。残念ながら私は日本でアルゼンチン料理は食べたことがないのですよ。あの、アルゼンチン・レストランがあることは知っています。郵政省飯倉分館の近くで仕事をしていた頃、仕事を終えてから、近くまで出かけたことがありました。もう還暦を過ぎて、ビッフェ・デ・ロモ(フィレ・ステーキ)、ビッフェ・デ・チョリーソ(サーロイン・ステーキ)はどうもね。でも、アルゼンチンで食べたものの半分は無理としても、1/4くらいの大きさなら大丈夫かなと思います。もしかしたら、ビノ(ワイン)とエンパナーダ(前菜みたいなもの)、エンサラダミクスタ(ミックスサラダ)、チョリーソ(ソーセージ)とエラード(アイスクリーム)で終わりという手があったのかも。何を言っているか分からない、と言う方も居られます。失礼しました。このぶろぐは、アルゼンチン料理のぶろぐではありませんでした。

閑話休題、
アルゼンチンタンゴは私の旅の想い出では忘れられない音楽です。30代中頃に仕事で、アルゼンチン、ブエノスアイレスに出かけ、すっかりタンゴ好きになってしまいました。不思議に名前だけは憶えているのですが、最初に出かけたタンゴバーがカーニョ・カトルセでした。市内のどこにあったかは憶えていません。でも、初めて経験するアルゼンチンタンゴの演奏、歌と踊りに大感激したことは憶えています。その後、エル・ビエホ・アルマッセン、カサ・ブランカ等タンゴバーに何度もでかけました。石畳の道を歩いてタンゴバーに出かけ、ワインとおつまみを頼んで素晴らしい音楽とタンゴの踊りを堪能したのを憶えています。

映画の写真は撮影できませんので、本当に古い写真なのですが、カサ・ブランカではタンゴの楽団による歌と演奏、特にバンドネオンの演奏ですね、を貼り付けますね。タンゴの踊りの写真がないのが寂しいですね。
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また、エル・ビエホ・アルマッセンでタンゴに酔いしれる若者、私も含まれます、の写真です。この時はタンゴというよりは、ビノ(ワイン)ではないですね、セルベサ(ビール)を飲んで酔っていただけのような気がします。
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アルゼンチンのブエノスアイレスは想い出断章ぶろぐにも書きましたが、思い出の町です。ジャカランダの花が咲き乱れ、南米のパリなんて言われていました。当時はまだフランスのパリに出かけたこともありませんでしたので、パリはこんな町なんだろうとずっと思っていました。実際にパリに出かけるようになって、確かに街の佇まいは似ていたように思いますね。そんなこともあって、ブエノスアイレスの町をさらに懐かしむようになりました。個人的にはブエノスアイレスは落ち着いた大人の町のイメージが私にはあります。少し暗い感じがするのは、やはり経済がうまくいっていなかったのと、当時は軍事政権が政治の実権を握り、それもまた、うまくいっていない社会情勢のせいだったと思います。パリは明るいイメージがありますね。セーヌ川、シャンゼリゼ通りを歩くとそれぞれ、パリの空の下、オーシャンゼリゼのメロディーを自然と口ずさむことになります。よくそんな日本人を見かけました。もしかしたら、私も、見かけられた方かも知れません。

あっ、ところで、南米のパリはブエノスアイレスなのですが、北米のパリはご存じですか。カナダのモントリオールなんですよ。旅のぶろぐで紹介したことがありましたね。私は、本物のパリ、さらに南米、北米のパリにもでかけているんですよ。だから、どうなのさ、との声も聞こえてきます。あまり関係有りませんでした。失礼。

アルゼンチンタンゴの名曲中の名曲、ラ・クンパルシータやエル・チョクロ、カミニート、リベル・タンゴは口ずさむものではなく、じっくりと聴くものと考えていますからね。
ラ・クンパルシータはマトス・ロドリゲスが学生だったころ作曲して、今では、アルゼンチン・タンゴ、世界のタンゴの代名詞になっています。でも、マトス・ロドリゲスはウルグアイ人でモンテビデオ出身なのです。このことに悔しい思いを抱くアルゼンチン人もいるのだそうです。でも、アルゼンチン人は寛容ですから、あまり気にしてないと私は思いますね。エル・チョクロは「とうもろこし」という題名ですね。このすばらしいタンゴの名曲ですが、私にはコリエンテス通り348番地の歌詞が印象深く残っています。なぜなら、私がブエノスアイレスで泊まったホテルの名前がコリエンテス818でもありました。いつもこの音楽を聴くと、あの時、コリエンテス通りのホテルを思い出してしまいます。カミニートはもちろんアルゼンチンタンゴ発祥の地、ボカ地区の通りの名前ですからね。メロディばかりでなく背景に建物までもが目に浮かびます。リベル・タンゴはピアソラの名曲で、あのチェロ奏者ヨーヨーマの演奏でも有名になりました。印象深いのはサントリーローヤルのCM音楽ですか、な~んだ、そうなのか、たいしたことないねの声も聞こえてきます。

私のアルゼンチンタンゴへの”のめり込み”はカルロス・ガルデル、藤沢嵐子の時代よりはずっと新しく、やはり、ブエノス・アイレス滞在中のカサ・ブランカ、エル・ビエホ・アルマッセンのタンゴ演奏と踊り、マリアーノ・モーレス楽団の演奏でした。今回の映画にも、マリアーノ・モーレスは非常に印象に残りました。彼の音楽家の出発はフランシスコ・カナロ楽団のピアノ奏者だったのです。でも、映画の中でも本当にマエストロでしたね。マリアーノ・モーレスは伝説の世界に入って燦然と輝いていました。

今から30年前、私は、ブエノスアイレスの夜に、ワインを片手に好きになってしまったタンゴに酔いしれていた時期もありました。それもやはり一期一会だったのかも知れない。それから、22年前にもう一度アルゼンチンにでかけ、ブエノスアイレスの夜にもう一度タンゴに酔ってもきました。今回の映画では、そのさらに20年後のブエノスアイレスの街並をも見せてくれていました。懐かしさに胸が張り裂ける思いでした。これもおおげさですね、でも本当です。7月9日(ノエベデフーリヨ)通りのオベリスクが見える通りでのタンゴの踊り、あの通りはコリエンテス大通りですね、夜な夜な私が歩いた通りです。レティロの駅(だと思います)、5月広場(プラザデマジョ)の、あのエヴィータが演説した大統領官邸のロサーダ、ボカ地区のカミニート通りも見(魅)せてくれました。

私は、この「アルゼンチンタンゴ 伝説のマエストロたち」の映画が、今から20~30年前、彼らマエストロが活躍していた時代に地球の裏側、アルゼンチン、ブエノスアイレスで彼らにほんの少し触れていた、そんな懐かしい気持ちにさせてくれた、との感慨に浸りました。

興味の有る方のために、アルゼンチンタンゴ・ダンス協会のホームページを張り付けますね。アルゼンチンタンゴの歴史が分かりますよ。

http://www.tangodance.co.jp/about/argentinohistory.html

アルゼンチンタンゴ鑑賞は、演奏して、踊って、観て、聴いて、酔いしれるのが真髄なのでしょう。私のアルゼンチンタンゴの嗜みに、演奏して、踊ってがもちろん入ってはいませんが、観て、聴いて、この大人の世界、伝説のマエストロたちに酔いしれた一時(ひととき)でもありました。

いまでも、何故か、手許に30年前にブエノスアイレスの夜店で購入した、エル・ビエホ・アルマッセンの音楽テープあります。どうしても捨てきれないのです。このテープは、昔、12年前、香港で購入したソニーの旧式なウオークマンでのみ再生できます。まわりの雑音に相まって臨場感たっぷりな、エル・ビエホ・アルマッセンのタンゴ演奏なのです。この音楽を聴きながら、ワインまたはビールで酔いしれる楽しみも、私にとって至福の時間でもあります。

アルゼンチンタンゴ 伝説のマエストロたち、めくるめくタンゴの世界に酔いしれたぶろぐでした。

少し本当に酔っていて、論旨が分かりにくいところはご容赦下さい。

コリエンテス348番地の歌詞が出てくるのは、「淡き光に」(A MEDIA LUZ)でした。私の所蔵のCDの3番目が「エルチョクロ」、「淡き光に」が4番目だったものですから勘違いしてしまいました。「淡き光に」もタンゴの名曲です。(2012.3.27 ふらぬい記)






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この記事へのコメント

墨爺
2011年04月03日 10:54
1969年メキシコ通財当時出張でブエノスアイレスに行きました
ホテルの人がさっけく来たのだからタンゴに浸って行きなさいと教えて呉れたのがカーニョカトルセでした
音楽もさる事ながら踊りの妖艶なのに驚きました
丁度発売されたばかりのカセットを持って行ったので採録して来ました音は非常に悪いですが雰囲気はよく出てます
お聞きになられたいですか?
2011年04月06日 14:33
墨爺さんからコメントをいただきました。有り難うございます。カーニョカトルセの音楽カセットにつきましては、演奏用のカセットテーププレーヤーを処分してしまいましたので、聞くことはできなくなりました。お気遣い感謝致します。私はブエノス滞在時、エスメラルダホテルからカーニョカトルセに出掛けた記憶があるのですが、カーニョカトルセの在った場所が思い出せないのです。もし、墨爺さんがご存じでしたら教えて頂きたいのです。エル・ビエホ・アルマッセンと違い、多分もう実在してないとは思います。できればで結構ですので、よろしくお願いします。
墨爺
2011年04月11日 09:56
私も何処だったのか気になって探してましたらラテイーナ誌に問い合わせたらと言って下さった方が居ましたので回答が有ったらお知らせします
カセットはCDにしてますのでお聞き頂ければ嬉しいです
2011年04月12日 13:48
墨爺さん、カーニョカトルセの情報有り難うございます。ウルグアイ通りとタルカフアノ通りは隣の通りですね。私はラヴァージェ通りとエスメラルダ通り交差点近くに当時在ったエスメラルダホテルから出掛けました。どちらにあったカーニュカトルセかは分かりませんが、かなり大きなタンゴ劇場で、観客席の一分は建物の外側(?)にも出ていたように思います。1981年12月初旬のことです。まもなく、ホテルをパラグアイ通りにあるホテルORLYに変更しました。現在、カーニョカトルセがビセンテロペス2134に在ることも分かりました。レコレータの近くですね。当時は毎日が、リバダビア大通り7500番地近くにあった仕事場、ENTELの局舎です、との往復でした。これからもよろしくお願いします。

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